父を亡くし、母を手にかけ、親友を失い、親代わりを守れなかった。何度も「理不尽な死」を経験し、途方もない悲しみが、日ごと実感をともなって実弥の心を苦しめる。実弥の目から涙がとめどなくあふれる場面が増えていく。
実弥が「悲しみ」を内側に留めておけなくなったのは、やはり粂野の死がきっかけであろう。粂野の気持ちは、弟のために命をかけようとする自分そのもの。自分が弟・玄弥のことを「大好き」だからこそ、粂野の想いは痛いほどにわかった。実弥はさらに自分の身をかえりみなくなっていく。
実弥は柱合裁判の際に、恋柱・甘露寺蜜璃(かんろじ・みつり)から、「また傷が増えて素敵だわ」と、ときめかれるシーンがある。蜜璃の言うとおり、他の「柱」と比べても、実弥の身体の傷は、はるかに多い。これは実弥の実力が不足しているためではない。実弥の血は鬼に対して特別な作用を持つ。そのため、実弥はその身をなげうち、文字通り血を流しながら、戦い続けた。最愛の弟を守るために。
■大好きな玄弥を「弟」と呼べない
<しつけぇんだよ 俺には弟なんていねェ>(不死川実弥/15巻・第132話「全力訓練」)
実弥は、弟を危険にさらすことを恐れ、彼を遠ざけようとした。にもかかわらず、弟は兄の後を追って鬼殺隊に入隊し、「鬼喰い」という禁忌を犯してまで兄の力になろうとする。
「弟」と呼ばず、玄弥をさけ続けた実弥だったが、重傷の玄弥と対面して、とうとう「テメェは本当にどうしようもねぇ 弟だぜぇ」と口にする。「大丈夫だ 何とかしてやる 兄ちゃんがどうにかしてやる」と必死で救おうとする。不死川兄弟が、互いの本心をやっと伝え合えた瞬間だったが、それもつかの間のことだった。
■強い男が「神」に祈る時
不死川実弥は強い人間だ。実弥は神に何かを願わない。神仏は、実弥を助けてはくれなかった。あんな絶望を、苦痛を、ただの一度も助けてはくれなかった。