戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の主導で草案が作られ誕生した日本国憲法。ソ連やオーストラリアなどが天皇制存続に否定的だったなか、新憲法は天皇制を救う存在だった。

 GHQのある第一生命ビル6階に、弁護士や大学教授出身のGHQ民政局(GS)の米国軍24人が集められた。新憲法の制定会議だった。1946年2月4日、GS局長のコートニー・ホイットニーが24人に対し、マッカーサーの新憲法3原則を示した。

(1)天皇は国家元首、(2)戦争の放棄、(3)封建制度の廃止の三つで、最大の目的は一番目に掲げられた国家元首としての天皇の位置づけだった。戦争の放棄や封建制度の廃止は、天皇制を維持するために各国を説得する「取引材料」だった。

 天皇制の危機を救ったのはマッカーサーやホイットニーであり、憲法9条の戦争放棄は天皇制の維持にとって欠かせないものだったという歴史的事実は、今日から見れば実に皮肉だ。

 極東国際軍事裁判と新憲法制定の危機を乗り切った天皇は、戦後処理の最後の難関、講和条約と日本の安全保障の問題に突き当たった。

 第9条の評価をめぐって、天皇とマッカーサーの間では食い違いが出始めていた。1947年5月6日の第4回会見では、その違いがはっきりと出た。

 マッカーサーが、「日本が完全に軍備を持たないこと自身が日本の為には最大の安全保障であって、これこそ日本の生きる唯一の道である。(略)将来の見込としては国連は益々強固になって行くものと思う」と新憲法の精神を説いたのに対して、天皇はたまりかねたように本音をぶつけた。

「日本の安全保障を図る為には、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを執ることを要するのでありまして、此の為元帥の御支援を期待して居ります」(豊下『昭和天皇・マッカーサー会見』)

 このときマッカーサーはまだ日本の中立非武装という考えを捨てていなかったが、天皇はそれでは安全保障は保てないと考えていた。日本の安全保障を図るために米国の力に頼る、天皇は冷徹にそう判断した。

※本文敬称略

週刊朝日 2013年5月31日号