半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「これから先の人生も何が起こるか楽しみです」
セトウチさんへ
最近は五感全滅で残っているのはかろうじて六感ですかね。元々、六感で絵を描いているので五感消滅もさほど苦になりません。子供の頃からひとりっ子で遊び相手がいなかったので、独りで絵ばかり描いていました。わんぱく少年ではなかったけれど勉強が大嫌いで、高校出た頃、先生が「よくお前、落第しなかったなあ」と絵だけ5で、あとはほとんど2と1、時々3がある程度だったけれど、絵が上手かったので、他の悪い成績がカモフラージュされていたみたい。とにかく本を読むのが大のニガ手。これは両親の尋常小学校出の無学という遺産を受けついでいたように思います。
僕は貰いっ子だったので、老両親は子供が成長して偉くなると、きっと家を出てしまうに違いない。だから学校の成績が悪い方が安心するという変った両親でした。そのことをいいことに、僕は絵ばかり描いて、残った時間は小川でコブナ獲りに夢中でした。そんな頃、怪奇探偵小説の江戸川乱歩と密林冒険小説の南洋一郎だけは夢中、と言っても一年間だけで、あとはまた絵とコブナです。
そんな経験が別になりたくもなかった画家をやっているといえばウソみたいですが、絵は好きだったけれど、それでメシを食うなんて地方では考えられないことです。前にも書きましたが、夢は郵便屋でした。「なんで?」とよく人に聞かれますが、切手蒐集や文通や外国の俳優へのファンレターなどを書くのが好きだったので、大人にならないで子供のまま生きていく職業といえば、やっぱり夢のある郵便屋さんしかないんじゃないかと思っていたのです。
それが僕の宿命だったのに、色んな人がいじくり廻して僕をデザイナーから画家に運命転換を計ってしまったのです。そんな後遺症が80歳を過ぎて出てきて、今は絵を描くのがメンドー臭くって、イヤイヤ描いているとは、この往復書簡の中でもうるさいほど言っているのでセトウチさんも、「ああ、聞いた、聞いた」と耳にタコだかイカができているはずです。