「製造中止となっていたアルバムを、再度、発売してほしいという声がありました。また、音楽業界の流れとして、CDなどフィジカル商品の価値への再評価もあります。モノとしてのコレクション目的だけでなく、よりよい音で聴きたいというニーズがあるのだと思います」と発売元のユニバーサルミュージック・インターナショナル/USM洋楽本部長の佐藤宙さんは話す。
アルバムには先着購入者特典でクイーンの写真を使ったトレーディングカードがつく。どの写真が手に入るかは買ってからのお楽しみだ。
「洋楽アルバムでは珍しい特典です。クイーンクラスのビッグアーティストは写真使用の許諾が厳しいからです。でも、クイーンは日本のファンが喜ぶならと快く許可してくれました」(佐藤さん)
クイーンにとって日本は特別な地。その始まりが75年の初来日だった。当時のクイーンは、スマッシュヒットはあったが、音楽的評価もミュージシャンとしての成功もいま一歩。不遇の生活を強いられていたところに、日本での熱狂的な歓迎だ。ギターのブライアン・メイは、羽田空港でファンにもみくちゃにされ、髪を引っ張られたことを今も日本の思い出としてよく口にする。
20年のクイーン+アダム・ランバート公演も、その後の新型コロナによる自粛生活を考えると、ギリギリのタイミングでの来日だった。その後、ツアーは中断された。偶然とはいえ、ファンはクイーンと日本の不思議な縁を感じているのではないだろうか。
「クイーン・デイ」イベントのトークショーに登壇した浅沼ワタルさんは、初期のクイーンを撮影した数少ない日本人カメラマンの一人。なかでもロンドン郊外のリッジファーム・スタジオで「ボヘミアン・ラプソディ」を含む名盤「オペラ座の夜」を準備していた彼らの姿を撮影したのは浅沼さんしかいない。
「クイーンのメンバーは日本が大好きだった。来日の印象がよほどよかったんだろうね。取材時に歓迎してくれただけでなく、僕の写真も気に入ってくれた。翌年のハイドパークでのフリーコンサートなど、ブライアンにはよく撮影に呼ばれたよ」と話す。