「備忘記録」と書かれたファイルの最初のページには、改ざんの指示に「現場の問題認識として既に決裁済の調書を修正することは問題があり行うべきではないと、本省審理室担当補佐に強く抗議した」とある。本省への怒りをにじませたものだ。

■克明に残る抵抗の記録

 ファイルには、実際に抵抗した様子も記されていた。

 改ざんが始まって10日後の17年3月8日午後5時45分。赤木さんは財務省幹部ら9人にメールを一斉送信した。

「既に意思決定した調書を修正することに疑問が残る」

 この日は、森友学園への土地売却をめぐる決裁文書に対し、会計検査院が国会の要請を受けて検査に入ろうとしていた。赤木さんは、改ざんせず、そのまま会計検査院などに説明するのが適切だと意見を述べた。その日、財務省からのメールは、翌9日未明の3時51分まで続くなど、異常さを増していた。

 だが、赤木さんの意見が通ることはなかった。3月20日。本省から赤木さんらに送られたメールには、

「(佐川)局長からの指示により、(決裁文書は)現在までの国会答弁を踏まえた上で、作成するよう直接指示がありました」

 とある。

 改ざんが佐川氏からの「直接指示」であることがはっきり書かれていた。また本省は、トップの名前を挙げることで、改ざんを急がせたかった意図も見て取れる。メールは続けて、

「修正後、局長説明を行う予定」

 との文言もあった。まさに、組織ぐるみで改ざんを進めていた実態も明らかになった。

 備忘記録に赤木さんは、

「(佐川)局長からの指示等の詳細が不明確なまま、本省からその都度メールで投げ込まれてくるのが実態」

 と内情をつづった。

 本省からの一方的な指示に、なすがまま改ざんさせられていた苦悩がにじむ。

 この間、赤木さんの体調は悪化し、うつを発症した。幻聴に悩まされ、震える声で雅子さんに「検察が、警察が僕を狙っている」などと言うようになったという。

 そして18年3月7日、自らの人生に終止符を打った。(編集部・野村昌二)

AERA 2021年7月5日号より抜粋

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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