本書には「世界的な植物の殿堂」と謳われる「からしや」が共通してあちこちに出てくる。最初は大きなグリーン・ショップのようなイメージだったが、じつは先端的な研究所であり、次第に世界を変革する巨大企業に成長していく。「からしや」の名前の由来は、「あまりの種」と題した「あとがき」に書かれているが、これもまんまと作品の一部になっている。いわば本書は「からしや」サーガ(物語群)なのだ。植物への倒錯的ともいえる愛に加えて、ナンセンス・ギャグのような軽やかなノリと、とめどない奔放な想像力、そして平然とモラルの限界を超えてしまう語りの力が渾然と結集した作品群である。

 私のお気に入りは「ディア・プルーデンス」。もとは「からしや」のレジ打ちのおばさんだったが、今は青虫の「ぼく」が、隣家の二階の部屋に閉じこもっている少女に懸命にコンタクトを取って外へ出てくるよう促す物語だ。タイトルはビートルズの曲名。彼らが仲間とインドに渡って瞑想にハマっていた頃に、宿舎の部屋から出てこないミア・ファーローの妹、プルーデンス嬢に呼びかけたジョン・レノンの曲である。それと「はらぺこあおむし」が合体したようなチャーミングな作品だ。

 我が家のベランダにも植物が十数鉢ある。朝夕水遣りするのが私の仕事で、メンテナンスが妻の仕事である。そこに本書に出てくるミスマッチな返答をするランの新種「喋らん」なんか加えて育ててみたい。コロナ禍で屋内に閉塞する私たちに、本書は植物という未来の夢を届けてくれた。ヒトから出ていきなさいと囁いてくれた。

週刊朝日  2021年7月9日号