人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、東京オリンピック・パラリンピックについて。
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もう一度だけ書く。オリパラは、やはりずるずると開催だけでなく、一万人の観客収容、そして飲酒OKまでエスカレートしていった。さすがに飲酒OKについては世論の反対によってなくなったが、一万人の観客については、変わらず。プラスして、関係者の入場が何人になるかわからない。
その人たちについては、ホテルから専用バスや車で送迎し、競技場とホテルの往来だけだから心配ないというが、要は特別扱いということだろう。多くの日本の観客は、満員電車やバスなどの公共交通機関で感染を気にしながらの移動というのに。
いったい誰のための何のためのオリパラなのだろうか。日本の今の事情をIOCのおエライさんたちに説明し、説得する人が日本側にはいないのか。
新しく就任した大会組織委員会会長の人間性は認めるし、主要メンバーに女性が揃ったのもすばらしいが、IOC側に物申す政治的手腕については、未知数どころか、言われるままに開催を了承せざるを得なかったように見える。
IOCのバッハ会長始めとするスポーツ貴族についてはあらためて言うまでもないが、なぜ彼らの言いなりなのか。
途中で組織委会長交代という事件はあったが、IOCの上部と対等に渡りあえる人材がいれば、様子はちがっていたと思えるが……。
尾身さんの捨て身の「普通は開催しない」発言や、百歩譲っての無観客開催の提言も、とりあげられることはなかった。
専門家の無力感は推して知るべし。我々国民も、何を言っても先にオリンピックありきの方針に、お手上げの状況である。
実は私はオリンピックと無関係ではない。二〇〇五年から一一年まで、JKA(旧・日本自転車振興会)の会長を務め、その間、国際基準の自転車室内競技場のベロドローム(通称、二五〇メートル板張りバンク)を静岡県の修善寺に造った。客席を増設した上で、今回のオリンピックに使われることになっていた。