ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、家の遍歴について。
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先週の水曜日、買って間もない中古車を運転して、よめはんと近くのスーパーに買い物に行き、後ろが見にくいものだからカメラを頼りにバックしていたら、ゴンッガリガリと不吉な音がした。車を降りてリアにまわると、電柱に左バンパーがめり込んでいる。おめでとう──。思わず、自分にいった。
それにしても駐車場の中にコンクリート電柱があり、黄色と黒の縞模様もないのはいかがなものか。地元の小さいスーパーだから駐車場も狭い。
買い物を済ませて、いつもお世話になっている自動車工場に行った。いま板金がたてこんでいるので週明けに預かります、といわれた。
そうして今週月曜日、家の塗装工事がはじまった。朝、よめはんとふたりでぶつけた車を自動車工場に持って行き、もう一台の小さい車を隣の家の塀際に駐めさせてもらった。
足場の設営工事は丸一日かかった。そのあと、壁の洗浄に二日、塗装に半月以上はかかるという。家というやつはメンテナンスが面倒だ──。
わたしは芸大の四回生のとき(73年)に学生結婚し、大手スーパーに就職して、大阪・茨木市に一戸建の家を借りた。敷地三十坪でガレージ付き、家賃は二万円だったか。
茨木から吹田の会社へ車で通勤しているとき、箕面の国道沿いで宅地分譲の看板を眼にした。一平米・九万八千円。坪あたり三十万円を超えるのに、なぜかしらん安いような気がして、次の休日、ひとりで現地へ行ってみた。
国道171号から北へ二百メートルほどあがったその分譲地は一区画が二十五坪前後で、周辺の畑からは一段高く、見晴らしがよかった。逆上したわたしは南端の一区画を買うべく契約し、家に帰って「土地、買うてきた」とよめはんにいったら、「あ、そう」とだけいった。よめはんは結婚したときから、わたしの行きあたりばったりな行動、性向に、天使のような諦観をもって対している。一万円の貯金もないわたしは四百万円を父親に借り、あとは銀行ローンにした。