作家・比較文学者の小谷野敦さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『一度きりの大泉の話』(萩尾望都著、河出書房新社 1980円・税込み)の書評を送る。
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1992年から小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に萩尾望都の、少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」が連載されていたが、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと思っていた。昨年出版された中川右介『萩尾望都と竹宮惠子』(幻冬舎新書)を読んだとき、これが、竹宮の『風と木の詩』への批判なのだということが初めて分かった。
萩尾と竹宮は、70年代はじめ、少女漫画界のニューウェーブの2人組として台頭してきた。竹宮の代表作が、少年愛を描いて衝撃を与えたとされる『風と木の詩』で、萩尾も初期は『トーマの心臓』など少年愛かと思われる題材を描いていたが、SFなどに移行していった。その後、竹宮は京都精華大学のマンガ学部の教授から学長を務め、萩尾は朝日賞を受賞するなど成功を収めた。
2016年に竹宮が自伝『少年の名はジルベール』を刊行し、漫画は描かないがストーリーは作るプロデューサー的な人物だった増山法恵と萩尾と3人で、東京の大泉に暮らしていた時期のことを書いた。それは大泉から引っ越すことで終わったのだが、「大泉サロン」と呼ばれ、世間ではこれは少女漫画版「トキワ荘」であり、ここから少女漫画の「革命」が起きたと位置づけられ、朝ドラになると言われ、萩尾と竹宮の再会と対談を望む声が多く寄せられた。
だが、萩尾はそれらを固く断り、自ら、竹宮との「絶縁」の真相を語ったのが本書である。萩尾は、この事実を固く封印していたのだが、それらの声を封じるため、一度だけ解凍すると言っている。萩尾は、自分は竹宮や増山のように、少年愛には関心はなかったと言い、しかし彼らに合わせる形でか(そうは言っていないが)少年愛風の作品を描いたところが、ある時2人から、竹宮が温めていた『風と木の詩』の盗作ではないかと問い詰められ、さらに手紙を渡され、自分らに近づかないでほしいと言われたという。萩尾は以後、『風と木の詩』を含めて竹宮の作品を一切読まず、竹宮や増山の「排他的独占領域」に触れないように用心してきたという。