
ライター・永江朗氏の「ベスト・レコメンド」。今回は、『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(ブレイディみかこ著、文藝春秋 1595円・税込み)を取り上げる。
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一昨年、ブレイディみかこの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)というエッセーが話題になった。強く印象に残ったのが、「誰かの靴を履いてみること」という言葉。英国の中学校に通う息子の試験問題「エンパシーとは何か」に対する答えだ。
『他者の靴を履く』はこのエンパシーについて掘り下げたエッセー。ただし息子と学校、トラックドライバーである配偶者など愉快なエピソードてんこ盛りの前著と違って、続編である本書は学究的で論文の引用も多い。その後の息子君の姿を期待した人には肩透かしかもしれない。
エンパシーとは「他人の立場に立ってみる」ということだが、単純なものではないようだ。日本語訳の「共感」「感情移入」だけに収まりきらない。
たとえば「彼女は、シンパシーのある人だったが、エンパシーのある人ではなかった」という言葉が出てくる。元秘書によるサッチャー評だ。
この元英国首相は、自分の身の回りの人には優しく思いやりがあった。しかし、一般庶民には冷酷で、福祉予算を容赦なく削った。彼女は庶民出身の叩き上げだが、他者の痛みを理解する力(=エンパシー)がなかった。モリ・カケ・サクラには優しいのに、オリンピックに反対するヤツは反日的だ、とか言っちゃう安倍晋三前首相も、エンパシーのない人なのだろう。
ただし、エンパシーは万能ではない。邪悪な人間に感情移入しすぎると、引きずり込まれるかもしれない。では、朱に交わっても赤くならないためにはどうするか。アナーキズムの導入だと著者は言う。自分の芯をしっかり持って、エンパシーを発揮せよ、と。
※週刊朝日 2021年7月30日号