バレーボール男子日本代表の石川祐希 (c)朝日新聞社
バレーボール男子日本代表の石川祐希 (c)朝日新聞社
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 栄光に輝いた昭和、低迷にあえいだ平成――。そして、令和の新時代幕開けと共に、長い雌伏の時間を経てバレーボール男子が五輪に帰ってくる。

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 2008年北京五輪以来の大舞台。コーチとして世界選手権優勝の実績もあるフィリップ・ブランコーチをフランスから招き、中垣内祐一監督のもとで進めてきた強化の真価が問われる時が来た。

 出場権を逃した16年リオデジャネイロ五輪後、東京五輪を目指した日本の戦いは前半は苦戦続きだった。17年ワールドグランドチャンピオンズカップでは、ミドルブロッカー(MB)小野寺太志(JT広島)のアウトサイドヒッター(OH)転向を試みるなど試行錯誤。結果的に1勝もできない屈辱を味わった。18年世界選手権は故障者もあって噛み合わない部分も多く、1次リーグで敗退した。

 しかし、19年ワールドカップ(W杯)では、西田有志(ジェイテクト)や石川祐希(ミラノ)の強力なサーブを武器に強豪国と渡り合った。大会史上初めて8勝(3敗)を挙げ、28年ぶりに4位に食い込む好成績。可能性を十分に感じさせる戦いぶりだった。

 東京五輪前最後の国際大会となったネーションズリーグ(5~6月、イタリア)では、2季ぶりの国際大会でエース石川がイタリア仕込みの多彩な攻撃を披露。強打だけでなくブロックアウトやプッシュ、フェイントと硬軟織り交ぜ得点を量産してベストスコアラー部門で8位に入り、中垣内監督を「ネット際の魔術師」とうならせた。5月8日の紅白戦で右足首を捻挫した西田も終盤戦には復帰し、7勝8敗で16チーム中11位。収穫も課題もある内容だった。

 世界に水をあけられ、歯が立たなかった時期は脱しつつある。強力なサーブに加え、バックアタックも含めて常に4人が参加する攻撃、ブロックとレシーブが連携した守備など、戦術面でも追いついてきた。

 ただ、まだ世界と肩を並べつつある段階で、すぐに勝てるほど甘くはない。日本は東京五輪でどう戦うべきだろうか。

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