タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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記者に答える政治家の言葉や街ゆく人のインタビューを見ていて、作文教育の弊害を感じることがあります。
夏休みの宿題の定番といえば読書感想文ですね。毎年やらされましたが、何年かやっていると大体パターンが掴めてきます。とにかく締めは「私も〇〇について考えなければいけないと思いました」「平和を大切にしたいと思います」などの、今後の心がけを書いておくと丸がもらえます。本を読んで立派なことを考えた感が出せるし、未来に向けての決意を書くとちょうどいい具合に収まる感じがします。
あの頃に多用した表現が、政治家の言葉にもよく出てきます。記者が現状について質問しても「しっかりと対応していきたい」「今後も取り組んでいきたい」などと答えるのが定番。具体的な話ではなく、漠然とした心がけを述べているだけです。それでごまかされてしまうのは、国語の作文でみんな「心がけ表明で締め」を散々やったからではないかと思うのです。でも書いている時にわかっていましたよね。大抵は、書くことがない時にあれを使うのです。それっぽくごまかせる、便利で空虚な心がけ表明。
街頭インタビューでも「私はこう思う、自分はこうする」ではなくて、主語のない模範回答をする人がいます。学級会で手をあげて「みんなちゃんとしたほうがいいと思います」という優等生のような。多分、質問の仕方に工夫が足りないのではと思うのですが、あれならわざわざ街の人に聞かなくてもいいのではないかと思うのです。「私はこうしますよ」という話ならば、世の中にはいろいろな事情の人がいるのだなとわかります。
これもまた、学校の教室でお馴染みの手法ですよね。私も身に覚えがあります。とりあえず先生が納得しそうな答えを言っておく。宿題の出し方を見直したほうがいいかもしれません。
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中
※AERA 2021年8月2日号