妙義山で逮捕され連行される連合赤軍の森恒夫、永田洋子の両元最高幹部。(1972年2月)
妙義山で逮捕され連行される連合赤軍の森恒夫、永田洋子の両元最高幹部。(1972年2月)

 戦争に反対し、そして一人の父親としてわが子を愛した若者は、なぜ同志殺しに至ったのか。

「それでは“狂気”の正体は何なのか、どうも私はこの事について自己批判書で書ききれていない気がしていたし、今でもそうである」

 そう書き残し、事件の中心にいた森は、「総括」がなぜ起きたのか、答えを出さぬまま事件の翌年の元日に、拘置所内で首を吊(つ)って自殺する。

 凄惨な事件に直面した多くの人は、怒り、悲しみ、そして森の「狂気」をただの狂気として、連合赤軍事件がなぜ起きたのか、その理由から目を背けてきた。

 事件から10年後、東京地裁で開かれた統一公判は次のような判決要旨でその幕を引いた。

「山岳ベースにおける処刑を組織防衛とか、路線の誤りなど、革命運動自体に由来するごとく考えるのは、事柄の本質を見誤ったというほかはなく、あくまで被告人永田の個人的資質の欠陥と、森の器量不足に大きく帰因し、かつこの両負因の合体による相乗作用によって、さらに問題が著るしく増幅発展したとみるのが正当である」

 事件は森と永田個人の問題によって引き起こされたものであると結論付けられたのだ。12人もの犠牲者を出した「永田の個人的資質の欠陥」「森の器量不足」とは、森の狂気の正体はいったい何なのか。

■革命とその失敗から見える景色

 本書では森の母校である大阪府立北野高校剣道部の同級生や、よど号ハイジャック事件によって北朝鮮に渡った大阪市大の後輩、山岳ベース事件を生き延びた元連合赤軍メンバーに取材し、さまざまな角度から森恒夫という人物を照らし出した。

 なぜ同志殺しが起きたのか、その疑問に答えが出ぬまま半世紀以上の時が過ぎ、1989年にベルリンの壁は取り壊され、ソ連は崩壊し、死刑判決を下された永田は2011年に病死した。

 資本主義と共産主義の対立、そして暴力の時代は終わりを迎え学生運動は遠い過去のものとなり、人類は新しい平和な世界を獲得したはずであった。しかし、現代的な共産主義思想の生みの親であるカール・マルクスはこんな言葉を残している。

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