「お父さんもお母さんも、全甲のとれないような頭の悪い子は産んでいない」
など、憎らしいことを言って、一言もほめたりはしてくれませんでした。クラスの友だちは、いい成績の通信簿を見せると、夏休みに海辺へ泊りがけで海水浴につれていってもらったり、欲しがっていたオルガンをほうびに買ってもらったりしていました。うちはそんなことも出来ない「貧乏」なんだと思いこみ、今度産れ直す時は、何が何でも金持の家に産れようと思ったものです。
それが、どんなにアホくさい望みかと自然に悟ったのは、小学校を卒業する頃でしょうか。
父は小学校を出るなり、親元を離れ、他県の木工職人の親方の家に、住込奉公に行き、そこで木工職人の道一筋に生きました。いつの間にか神仏具を造りはじめ、私の物心ついた頃は、神仏具商になっていました。自分がそうしたように内弟子を頼まれれば、いくらでも引き受け、常に十人以上の弟子が泊りこんでいました。
庄屋の娘として何不自由なく育った母が、生母に早死され、不思議な縁で、職人の父に嫁いだのも縁なら、姉と私の二人の女姉妹しか産れなかったのも、縁でしょうか。百年も生きてみると、最近は、すべてのことが、因縁だと思うようになりました。ヨコオさんの最近のお便りによく出る輪廻転生とか、肉体に宿る魂の存在とか……仏教めいた言葉も、すんなり頭や感情にとけこんできます。
私は五十一歳の時、出離しています。何をまたあのそこつ者がと、かげで笑われていたかもしれませんが、私なりに、一生懸命考えぬいて、「これしかない」と覚悟して決行したことです。以来、只の一度も、その決行を悔いたことはありません。
おかげさまで、私にはあの世があると、仏から教えられています。迷う日もありますが、おかげさまで、その後で、迷う前よりもっと確固とした信念が戻ってきて、まだ見ぬあの世を信じさせてくれます。もう程なくこの世の私の命のつきる日が来ることでしょう。あの世に出発する支度は、おかげさまで、とっくに出来ております。
この世に未練も悔もありません。馬鹿なことも恥しいことも散々してきましたが、あなたのおっしゃる「見えないものを見えるように描く(私の場合は“書く”)」のが、私たちの仕事なら、この世の命のつきる瞬間まで、私もペンを離さずにおりましょう。
では、寝冷えをしないように。またね。
※週刊朝日 2021年8月13日号