ここでもう一度魂について考えます。人はどう思うか知りませんが、創造におけるインスピレーション(霊感)は今生の肉体的、精神的体験のみによって受信されるものではありません。肉体に宿る魂からの発信がなければ、本当の創造はできません。魂それ自体の記憶と経験の助力があって、初めて芸術作品が誕生するのです。言い方を変えれば、過去世からの情報によって、われわれの作品は未来へと進化、発展するのです。そのためには、今生しか存在しない、だから今生が全てという考え方は、間違いではないですがほんの一部にしか過ぎません。
だからわれわれ美術家は他次元に於いても多面的でなければなりません。多面的というのは宇宙的でもあります。もっと言えば創造の根源は宇宙であると言えます。宇宙は何でもありの世界です。ねばならないという一元的な世界ではないのです。そして宇宙は人間に成るように成るという自由を与えてくれています。
駅伝の話がとんでもない話になってしまいました。ついセトウチさんとの往復書簡だということを忘れてしまって、ゴールを飛び越えた暴走ランナーになってしまいました。でも輪廻転生は仏教の根本原理なので、セトウチさんのテリトリー内での話です。この往復書簡ではセトウチさんより、僕の方が仏教の話をよくするので、ちょっと恥ずかしいのですが、死に興味がありますので、どうしても仏教の話をしてしまいます。
■瀬戸内寂聴「この命つきるまで、ペンを離さずにおりましょう」
ヨコオさん この二人のナイショ便りも、いつの間にか、98回にもなっています。もうすぐ百回ですよ。
いつかこの交換便りに、私が一日に何度も「百歳だ」と口にして喜んでいると書きましたが、幼い時、病弱で、とても十歳までは生きられまいと親たちは、あきらめていたというのですよ。両親も、たったひとりの姉も、肉親はみんな、早々と死んでしまいました。
どう考えても、三人とも善良で、き真面目で、何をしても、損ばかりしている世渡りの不器用な人たちでした。でもひそかに自分は頭がいいと思いこんでいて、子供の私が、学校で全甲の通信簿をもらってきて、いそいそとそれを見せても、