――得点は28点台だったが、佐久本先生が「私の中では満点」とおっしゃっていた。それを聞いて。

 15、16年も佐久本先生と一緒に稽古してきて、毎日稽古をつけていただいた。先生に感謝の気持ちでいっぱいなので、先生に満点って言われるのが一番うれしいです。

――沖縄で最初の金メダリストになった。その点については。

 沖縄の歴史も刻むことができたのでうれしく思います。

――畳に上がる前に佐久本先生とお互いに礼をしていましたけど、あのときはどういう気持ちでしたか。

 自分の中では、先生と一緒に礼をして気持ちが入るというか、「よっしゃ、これから舞台で思い切りやってくるぞ」という気持ちで舞台に上がって。舞台を下りたら、ありがとうございましたという礼で終えました。

――(女子形の)清水希容選手も銀メダルで、組手も敗退が続いている中で、金メダルを持ってこられたことについては。

 昨日の結果などもライブで見ていて、悔しい気持ちがありましたし、何とも言えない気持ちなんですけど、自分の出番は今日なので、そこに集中して、自分が絶対取るぞと。金は取ってくるというか、それよりも今まで一緒にやってきた仲間たちの分まで自分が舞台で発揮しようという気持ちで戦いました。

――採点を待っている時間と、金メダルだと分かった瞬間の気持ちは?

 隣に立っているダミアン選手もずっと戦ってきて、今回も決勝で当たって、ダミアン選手も素晴らしい選手なので、ここまで切磋琢磨して上がってこられたと思いますので、ダミアン選手に感謝の気持ちです。

――自分の理想の空手をこれまで追求してきたと思うんですけど、決勝の舞台で表現できたと思いますか。

 技術的な部分はまだまだできると思います。技術を磨いていけるかなと思いますね。でも、しっかり気持ちの入った演武が今日はできたと思います。

――15歳で佐久本先生のところに行って、365日稽古するんだぞと言われて、その約束は今日まで守られているんですか。

 はい。

――空手界にとっても、五輪に空手があるというのは悲願だったと思うんですけど、喜友名さんにとって五輪はどんな舞台でしたか。

 オリンピックは、一番注目されるところでもありますので、沖縄の伝統が世界に広がって、世界の人たちに本当にたくさんの方々に空手がたしなまれている、愛されているということがオリンピックを通して沖縄のみなさんにも日本にも世界にも伝えることができたと思います。

――先ほどから出ている仲間にはどんな言葉をかけたいですか。

 一緒に稽古する仲間がいたからこそ、毎日切磋琢磨して緊張感のある稽古を毎日続けることができると思いますので、佐久本先生はじめ、この仲間たちに早く会って報告したいです。

――お母様の墓前に行かれてどういうご報告をされますか。

 しっかり優勝したよと伝えたいです。

(編集部・深澤友紀)

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