金メダルを獲得した喜友名諒(gettyimages)
金メダルを獲得した喜友名諒(gettyimages)

 別次元の強さだった。東京五輪の日本勢の中で「金メダルに一番近い」と言われてきた空手の喜友名諒(31)が8月6日、男子形(かた)で初代金メダリストの称号を手にした。琉球王国時代の護身術である「琉球古武道」がルーツといわれる同競技。喜友名は沖縄出身の誇りを胸に戦い、全都道府県の中で金メダルが唯一なかった沖縄に初の栄冠をもたらした。

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 優勝が決まった瞬間も表情を変えなかった。畳の中央に正座し、深く頭を下げた。

「優勝した後に一番に母親に報告したいなという気持ちもあったので。『約束を守ったよ』と伝えました」

 大舞台で息子の活躍を楽しみにしていた母・紀江さんは2019年2月、57歳で亡くなった。喜友名は表彰台でも母の遺影を右手に持ち、左手で握った金メダルを添えた。

「形」は四方を囲む仮想の敵と戦う。決勝で見せたのは、劉衛流の「オーハンダイ」。一歩出る間に三つの技を繰り出し、前蹴りしてそのまま足刀に転ずるなど手数が多く高難度の形だ。喜友名は冒頭から力強さと繊細さを兼ね備えた演武で28・72点。スペインのダミアン・キンテロ(37)に1・12点の大差をつけた。

 15歳のときから指導を受ける恩師の佐久本嗣男・日本代表形監督は「満点をあげたい」とたたえた。喜友名は「2015、16年も佐久本先生に毎日稽古をつけていただいた。先生に感謝の気持ちでいっぱい。先生に満点って言われるのが一番うれしいです」と喜びをかみしめていた。

 喜友名と報道陣との一問一答は次のとおり。

――終わった後、畳の上で礼をされていましたが。

 優勝した後に一番に母親に報告したいなという気持ちもあったので。それと、ここまでこれたことに、周りのみなさんへの感謝です。

――お母さんにはどういう言葉で?

 約束を守ったよということを伝えました。

――決勝の「オーハンダイ」の最初の気合の部分、あそこは観衆を一気に引きつけられるところだと思うんですけど、どういうことを意識していましたか。

 佐久本先生と毎日稽古してきて、ほかにも仲間たちと毎日稽古してきているので、決勝の舞台でも、毎日仲間たちと競いあっている稽古、そこがイメージできたというか頭に浮かんできた。それが見えて、いつもの稽古どおりというか、心強く決勝の舞台に立つことができました。

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「私の中では満点」