幼少期にそんな日々を送るうち、知らず知らずにわたしはひとの顔色をうかがう人間に成長していたようだ。これは後に知人に指摘されて初めて気づいたのだが、たしかにそのとおりである。

 よく言えば空気が読める、悪く言えば人の顔色ばかりを気にしている。

 まぁ、それもまたしかたのないことだ。毎日が母の機嫌を読むことの繰り返しだったのだから。

 ふつう子供はみんな無条件に母親が好きだ。どんなにいい母親だろうが悪い母親だろうが、そんなことは関係ない。社会的に見た相対評価ではなく、子にとっての母は絶対的な存在なのだ。

 だから毎日のように繰り返されるニュースのなかで、虐待される子供は泣きながらでも母親のそばを離れようとしない。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 と意味もわからずに謝りながら、すがりつくのだ。

 わたしの当時の話をすると、「それって、虐待なんじゃない?」と言うひともいる。たしかに平手で顔を叩かれたり布団叩きで腰を打たれたり、投げつけられた大きな石の灰皿で額から血を流していたのだから、そう思われても不思議はない。

 でも、わたし自身はそれらを虐待と思ったことはただの一度もない。

 なぜならわたしはほかのお母さんを知らない。

 優しく抱きしめて、褒めてくれて、毎日お弁当を作ってくれる、そんなお母さんが世の中にはいるのだろうけれど、そんなひとと自分の親を比べても意味がない。だってわたしはわたしの母親しか知らないのだから。

 いつも気分次第で怒って、睡眠薬を飲んでは眠り続ける。滅多に心底笑うことはなく、褒め言葉も口にしない。

 そんな人間だって、世界にたったひとりしかいないわたしの母親だったのだから。

■タバコの火

「あの頃のおばさんの史絵ちゃんに対する執着は尋常じゃなかったよねぇ……史絵ちゃんもほんとによく頑張ってたよね」

 幼少期をよく知る従姉に会うと、今でもこんな会話になる。母の言動はそれほどまでに印象に残るものだったのだろう。

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「願わくは、母の笑った顔を見たかった」