本社は福岡市にある。市長がベンチャー企業の誘致に積極的で、様々な優遇策が受けられる。コロナ禍でメンバーの大半はリモートワークだ(撮影/写真部・東川哲也)
本社は福岡市にある。市長がベンチャー企業の誘致に積極的で、様々な優遇策が受けられる。コロナ禍でメンバーの大半はリモートワークだ(撮影/写真部・東川哲也)
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まきた・えり/1982年生まれ、東京都出身。38歳(撮影/写真部・東川哲也)
まきた・えり/1982年生まれ、東京都出身。38歳(撮影/写真部・東川哲也)

 かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな循環の中心にいる人々に迫る短期集中連載。第1シリーズの初回は、スマートロックで注目の人物、ベンチャー企業tsumug(ツムグ)を創業した牧田恵里(38)だ。AERA 2021年8月16日-8月23日合併号の記事の2回目。

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 幼い頃は毎年、夏休みのほとんどを愛知県東海市の母親の実家で過ごした。織田信長の家臣・池田輝政の居城だった木田城の跡地にあり、座敷は宮造り。幼い牧田は手の込んだ欄間がお気に入りで、「大きくなったら宮大工になる」と言っていた。

 地主の娘だった母方の祖母は手広く商売を営むやり手で、3人の娘に「将来、仕事の役に立つだろう」と英語やフランス語を学ばせた。母の姉(牧田の伯母)はスイス人、牧田の母はイギリス人と結婚した。

 牧田の父親は外資企業向けの会計ソフトを売る会社を営んでいた。会社は東京にあり、牧田も麹町に住んだ。小学生の時、ブッシュ元米大統領の夫人、バーバラが来日すると動員がかかり、小旗を振って歓迎した。高校は木更津にある暁星国際に進み寮生活を送る。理系のクラスに女子は3人しかいなかった。

「宮大工になりたい」という夢は変わらなかったが、離婚していた母親に「お父さんがいないんだからお願いだから大学にだけは行って」と泣かれ、東京理科大学の建築学科に進んだ。牧田いわく「女の子の扱いが得意でない男子に囲まれた4年間」を過ごした。

 大学3年で就職活動を始めるタイミングで、母にがんが見つかった。母は離婚した時、生計を立てるためパソコンの周辺機器を扱う商社を立ち上げた。がんが見つかったのは、その会社が海外企業と合弁会社を立ち上げるタイミングだった。

 牧田が入院した母親の代わりに会議に出た。ビジネスはよくわからないから、相手との対話を録音し、病床の母に報告する。母の指示を受けて次回の交渉に臨む、といった具合だ。

 幸い治療が成功し、母は2カ月で仕事に戻った。しかし、その間に同級生のほとんどは内定を取り付けていた。すっかり出遅れた牧田は、秋になっても採用を続けていたITベンチャーのサイボウズに入った。入社式で初代社長の高須賀宣が「私は辞めることになりました」とあいさつし、新入社員が泣き始める波乱のスタートだった。

 新たに社長になった創業メンバーの一人、青野慶久の下で牧田は伸び伸びと働いた。会社のお金でビジネススクールのグロービスを受講し、オープンソース・フォーラムの立ち上げに加わった。

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借金5億円を返済