ムロツヨシ(C)朝日新聞社
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 今や押しも押されもせぬ人気俳優となったムロツヨシ(45)。そのキャリアをさかのぼると、なんと2011年から毎年連続ドラマにレギュラー出演しているという売れっ子ぶりだ。9月23日から公開される映画「マイ・ダディ」では満を持して初主演を飾っており、さらなる飛躍をみせそうだ。

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 だが、ムロツヨシはなぜここまで安定した人気を獲得することに成功したのだろうか。民放ドラマを手掛ける脚本家はこう分析する。

「当初はコメディーリリーフという存在でしたが、毎年連ドラにレギュラー出演することで番手もあがり、名前でドラマの人気が担保できるほどの存在になりました。初主演映画『マイ・ダディ』ではシングルファーザーを演じるようですが、ムロさんが得意とする“泣けて笑える芝居”がさく裂しているそうです。最近の出演作品を見ると、ムロさんに求められている芝居が笑いよりも泣きに変わりつつあります。もちろん、笑いの芝居は群を抜いてうまいのですが、実は同じぐらい泣きの芝居がうまいのがすごいところ。いま、泣きの芝居をやらせたら日本一と言っても過言ではないかもしれません。年齢も45歳になり、最近では父親役も板についてきたので、今後はシリアスな役がもっと増えるかもしれません」

 両親の離婚を機に5歳年上の姉と親戚のもとで育ち、一浪して大学に入るも3週間で中退。以後、アルバイトをしながら役者を目指すという下積み生活が始まるも、自身が立ち上げた演劇ユニットはメンバーによる“クーデター”で退団させられるという苦すぎる経験を持っている。

「トーク番組や雑誌のインタビューで自身の幼少期の話や下積み時代を面白おかしく語っていますが、実際は相当苦しかったでしょう。ただ、その苦い経験が今のムロさんの役者としての振り幅を作っているのは確か。役者として世に出る足掛かりになったのは、2005年の『サマータイムマシン・ブルース』で、監督を務めた本広克行さんにハマり、以後『踊る大捜査線』シリーズを含む本広作品に多数出演することになりました。その後、今をときめく福田雄一監督との出会いが、彼を売れっ子役者に押し上げた転機となりました。当時、福田さんもまだブレーク前夜でしたが、同じく福田組の怪優といわれる佐藤二朗さんと福田作品を大いに盛り上げ、ムロさんと佐藤さんは両輪となって、なくてはならない存在になりました」(前出の脚本家)

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現場では「優しさの塊みたいな人」