しかし、その熱さゆえに話がちと長い。筆者の友人なぞ、定期的に小川さんが配信する「千本ノック」という動画を、「話が長くて最後まで見終えられたことがない」とまで言っていたが(あはははは)、問題の原因がどこにあるのか、それに対する具体的な政策、及び自分がどうしてそう思うに至ったかまで事細かに丁寧に説明しなくてはおられない性分らしく、しかもそこに修飾語や比喩表現までちりばめたりして、やたら長い。電話であれこれ原稿について相談していたとき、「この問題を話したのはたしか1、2月頃で」と言うのに、「あれは梅の花がほころびかけた頃だったか」とか、何やら美しいことまで言い出したときにはちょっと笑ってしまった。すみません。

 でも日ごろ、政治家が語るキャッチフレーズのような、実態を伴わない言葉や、上から威圧し、強く言い切った者勝ちみたいな物言いにはうんざりしてきた。誰か他の人が書いた作文みたいな言葉を棒読みされたって、何一つ伝わるものなんて、ありゃしない。

 だから、回りくどくて長くても、何やら修飾語がちりばめられていても、伝えたい思いを積み重ねている言葉。それの方がずっと聞きたい。質量の重い言葉を、ずっしり聞いて、咀嚼し、こちらもじっくり考えたい。小川さんの言葉とは、そういうものだ。何度も何度も対話を重ねながら、意見が合わないことも多々あって、言い合いになったこともあったけど、その言葉に飽きたことは一度もなかった。

 驚いたのは小川さんがけっこうな編集者っぷりを発揮したことだ。いや、まぁ、優秀な人は何をしても優秀なんだろうけど、「原稿にたとえ粗さが目立っても、勢いや衝動が生きている方がいい」と、さんざ書き直したとある原稿を第一稿に戻すようとアドバイスしてくれたときには、ハッとした。結果、その通りだった。そういうことは何度かあって、政治家を辞めて編集者になってくれたらいいのになぁ~などと、めちゃくちゃ失礼なことを思っていた(ほんと、すみません)。

 とはいえ、もちろん逆もあって、「それは無理っす~」と筆者が突っぱねたこともある。突っぱねても別に怒ったりはしないのだが、ふと、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』の中で選挙活動に苦しみ、「試練やなぁ」とつぶやいていた表情を思い出して、悪いことしたかなぁと後から思ってみたりした。まぁ、だからって、無理は無理だけど。

 と、新しいリーダーとして期待される小川淳也像を書こうとしたのに、あれ? ぜんぜん総理大臣ぽくないし、リーダー云々も見えない。見えないが、一体、その、総理大臣ぽさとか、リーダー像とか、このコロナ禍にあって、何が好ましいのか? 何を求めてるのか? 実は自分自身がしっかり抱けてないと気がつく。抱けていないからこそ、いつまでも、望むリーダーを持てないのではないか? 小川像云々の前に、まずはそこからしっかりと描けなければ、話にならないのではないだろうか。どういう人にリーダーとなって、この国をひっぱってもらいたいかというか、共に歩んでいきたいか。よくよく、じっくり考えなければいけない。それはこれから訪れる選挙前に、有権者全員が考えるべきことだろう。

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