タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
* * *
辞書で「おじさん(小父さん)」を引くと、他人である年上の男性への親しみを込めた呼称とあります。若くないことを皮肉ったり自嘲したりするときに使われる、とも。
「おじさん・おっさん・おやじ」は、独善的で視野の狭い中高年男性を指すこともあります。肩書や収入で人の価値をはかり、役割を押し付けて見下す。現実を見ず、人の話を聞かず、質問に答えず、丁寧な説明もしない。末端に自己責任論を押し付けて責任逃れをする。そんな態度への批判が込められています。
時には女性が「私、中身はおじさんだからさ」と言うこともあります。自身を茶化す言い方ですが、真意は「私は並の女とは違い、男社会で男性と対等に渡り合えるほど有能である」というアピールであることも。
「おじさんと言われると傷つく」という中年男性もいます。「女性はおばさんと言われると怒るくせに、男性には平気でおじさんと言うね」と。おじさん・おばさんという言葉自体は、中年男性・中年女性を指すだけです。それがどのような文脈で用いられるかで、批判や侮辱になります。
私は、自分の中に「おじさん」を発見しました。夫が仕事を離れた時に、働いている自分の方が上だとか、収入のない男は軽んじてもいいと思ってしまったのです。「稼ぐ男が偉い」という強固な思い込みがありました。「女のくせに」という扱いをされて悔しい思いをしてきたのに、夫には「男のくせに」をやってしまった。「おじさん」は、私の中にもいたのです。いわば「おじさんOS」がインストールされていたんですね。
学歴・年収・肩書で序列が決まり、負けたら自己責任。勝ち残った者が長い間居座り、好き放題する。それを「仕方ない」と思わされていないか。そう自問するところから、脱・おじさんOS社会が始まるのかもしれません。
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中
※AERA 2021年9月13日号