今年8月末、京都・壬生に行った。観光客の人気スポットだが、やはりコロナで閑散としていた。壬生にはかつて新選組の屯所があり、壬生寺境内の「壬生塚」には、隊士の墓や近藤勇の銅像がある。土産物を売る女性が言う。

新選組隊士が出陣するとき左肩につけた袖章(土方歳三資料館蔵) (撮影/写真部・小林修)
新選組隊士が出陣するとき左肩につけた袖章(土方歳三資料館蔵) (撮影/写真部・小林修)
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「人気の順だと、土方歳三さん、沖田総司さん、差があって近藤勇さん、たまに芹沢鴨さん」

 土方歳三の生涯を描いた『燃えよ剣』(1962~64年)。累計500万部を超える大ベストセラーで、新選組のイメージを大きく変えた。この作品以前だと、鞍馬天狗や桂小五郎のライバルは近藤勇で、土方といえば陰謀をたくらみ、勤王の志士を捕まえては拷問をする悪役(ヒール)でしかなかった。

 ところが『燃えよ剣』『新選組血風録』で司馬さんが造形した土方は、ハードボイルド小説の主人公のように男も女も惹(ひ)きつける。20歳になっても正業につかない多摩・石田村(現東京都日野市)のバラガキ(乱暴者)だが、切れ長の目を細めると、近在の娘たちは、

「涼しい」

 と騒ぎ、男たちは、

「なにを仕出かすかわからねえ眼だ」

 と畏怖(いふ)する。

 剣術は自己流で身に付けたが、師匠の近藤勇がやがて勝てなくなるほどで、とくに突きが鋭い。

 そんな土方が近藤をサポートしつつ、京に上って会津藩の庇護(ひご)の下に新選組を誕生させた。

 池田屋事件や禁門の変で活躍、長州や土佐などの討幕派を震え上がらせる。一方で、芹沢鴨や伊東甲子太郎などの同志を多く粛清もした。

 敵にも味方にも恐れられた土方だが、隊士のなかで7歳年下の沖田総司にだけは心を許す。

 下り坂の幕府に近藤は動揺するが、土方は沖田総司に本音を語る。

「総司、おらァね、世の中がどうなろうとも、たとえ幕軍がぜんぶ敗れ、降伏して、最後の一人になろうとも、やるぜ」

 土方にイデオロギーはない。言葉どおり、「明治」が始まっても土方の戦いは続く。いつのまにか剣術屋から、西洋式軍隊の優秀な指揮官となった。ダンディーに洋装を着こなし、髪はオールバックに変身もした。榎本武揚の五稜郭政府の幹部として唯一、戦死している。『燃えよ剣』のあとがきにある。

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