眞子さまは皇籍離脱をされて、海外生活を送るという違いはあるが、病名だけでみると、雅子さまの適応障害よりも治療に時間がかかるとされ、日本から出れば治るというものでもないという。専門医は語る。

「眞子さまが海外に出られてからも、あれだけ騒がれた小室さんの動向をメディアが放っておくとは思えません。眞子さまが海外で治療を続けるには、多忙な弁護士事務所に通う小室さんだけで支えられるのでしょうか」

 正式な結婚発表時での病名公表は、「海外に行けばメディアの露出も減るだろう」という短絡的な判断ではなかったか。同時に雅子さまの精神疾患も理解しているのだろうかと疑問に思う。

 雅子さまはご病名発表後も公務を欠席したことなどから「仮病」「わがまま」と批判され続けた。

 驚いたのは、当時の情報源のひとつに、宮内庁幹部が関与していたとされることだ。批判はご夫妻の別居や離婚、ひいては廃太子による皇位継承順位の変更という暴論にまで至ったが、宮内庁は黙認したままだった。

 そんな中、当時の皇太子はお一人で公務などを黙々と続けられた。こうした記事を掲載する雑誌広告が目に触れないよう、陛下は主要な国内外の記事だけを切り取って雅子さまに渡された時期もあったという。

声を失われたころの美智子さま(1993年) (c)朝日新聞社
声を失われたころの美智子さま(1993年) (c)朝日新聞社

 さらに遡れば、美智子上皇后陛下の声が出なくなったのは、1993年10月の誕生日の朝だった。原因は、週刊誌などによるバッシング報道にストレスを感じている中、親しい友人からの手紙に皇太子妃決定過程に関わることが記されていたことも追い打ちをかけたともいわれた。

 美智子さまのお悲しみ、雅子さまと眞子さまのご病気。30年近く経っても同じことが繰り返されている。これからは、自由を求める皇族方がもっと増えるだろう。宮内庁が「お仕え」するだけの組織であり続けるならば、その変化を受けとめきれなくなる。そうなれば国民の信頼を失い、皇室離れに繋がりかねない。

 眞子さまのご結婚は、宮内庁のあり方にも警鐘を鳴らし、変化のきっかけになるのではないか。4年間の苦しみを繰り返してはならないと思う。(ジャーナリスト・友納尚子)

週刊朝日  2021年10月22日号より抜粋