「腹を割って話すことが深い相互理解につながる」と考え、講演では率直に自分の経験を話すようにしている。終了後、声をかけてくる子どももいる(写真=楠本涼)
「腹を割って話すことが深い相互理解につながる」と考え、講演では率直に自分の経験を話すようにしている。終了後、声をかけてくる子どももいる(写真=楠本涼)

 男の子が好きなのか。女の子が好きなのか。自分は男性なのに、女性として生きたいのだろうか。自分自身がよく分からない、モヤモヤとした思いは20代まで続いた。この葛藤を克服すれば完全に男性になれるのではないかと、あえてヒゲをはやす荒療治をした時期もあった。

 大阪市立大学時代、仲岡が所属していた人権サークルの友人、渡邊充佳(39)は、仲岡からセクシュアリティーについて聞いたことは何もなかったと言う。

「今思うと、とても熱心にサークル活動はしていたのに、泊まりを伴う合宿には参加してなかったから、何か思うところはあったんだと思います。自分で自分をどう受けとめていくか、迷走していたんじゃないでしょうか」 

 自分の性的アイデンティティーを自覚したのは大学卒業後、司法試験の勉強をしながらアルバイトをしていた時のことだ。たまたまバイト先の同僚から「行ってみぃひん?」と誘われ、トランスジェンダーの交流会に参加した。

 当事者を見るのも、話をするのも初めてだった。ある参加者から「仲岡さんもほんまはトランスちゃうのん?」と明るく声をかけられ、心の奥底に押し込めてきた何かがはじけたような気がした。

「今まで必死に『私は男』って自分に暗示をかけてきたけど、わたしコレやん!って。初めて自分を表現する言葉を知り、自分を投影できる人たちに会った。私も本来の自分に戻ろうと決めた」

 インターネットで当事者が発信する情報を探し、手探りで声の出し方を変え、化粧の仕方を勉強し、身体への治療を始めた。

 14年、3度目の受験で司法試験に合格。司法修習生となった仲岡は、性的少数者は法や制度の枠外に置かれることが少なくないことを実感する。

(文中敬称略)

(文・大貫聡子)

※記事の続きはAERA 2022年11月21日号でご覧いただけます。