男に生まれただけで、あなたは男だから、と特別扱いされたまま大人になり、その大人が甲斐性を身につければ、甲斐性の一部分は女性を買うことに費やされたのだろうか。日本の男たちがたどった不思議な命運が、江戸時代から明治、大正、昭和をへて、現在までつながった様子をかいま見ることが出来るのは、本書の面白いところだ。

 二子玉川に関する記述は興味深い。江戸時代から楽しまれて来た鮎漁は、取った鮎を調理して食べさせる料理屋を生み、他の料理屋が増え、評判となってさらに人を呼んだ。三業地を含む商店街が繁盛し、鉄道の施設や遊園地の建設など川辺で家族が楽しむ行楽地として大きくなっていった。品川や渋谷へいかなくとも遊女を買えたのは便利でもあった。そしていま、昔の花街の面影はいっさいない。

 いま僕が住んでいるところから最も近い花街跡地は二子玉川だ。電車とバスで小一時間だ。田園都市線で多摩川を渡ると二子新地駅がある。ここにも三業地があったという。

 昭和が始まったときから数えても現在まですでに百年近い時間が経過している。これだけの時間のなかで東京は、途方もない激変をいくつも体験した。都市に生きる人たちの毎日の営みのかたちとして、花街もまた、途方もない変化をくぐり抜けてきた。

 自助努力の最たるものが花街だったとすると、そのような努力が生まれてくる根源のひとつに、貧困があったはずだと、僕は考える。貧しさの上にさらなる貧しさが維持されて花街を作り、それは長く続いたけれど、いまはもうない。行楽が常に外にあり、誰もが代金を払って行楽した事実のなかに、貧困が潜んでいる気がする。

週刊朝日  2021年11月5日号