80~90年代に巨人を指揮した王貞治氏(右)と藤田元司氏(左)(c)朝日新聞社
80~90年代に巨人を指揮した王貞治氏(右)と藤田元司氏(左)(c)朝日新聞社

 1点を追う7回2死三塁のチャンスで、藤田監督は「代打・吉村(禎章)」を告げた。

 前年、左膝靭帯断裂の重傷を負い、「99パーセント復帰は難しい」とまで言われた吉村は、奇跡の復活を目指し、8月末に支配下登録を勝ち取ったばかり。当初は日本シリーズのDH要員として2軍調整を続ける予定だった。

 だが、「吉村の姿がチームに(優勝への)最後のねじを巻いてくれるはずだ」と考えた藤田監督は、無理をさせないことを条件に1軍に合流させると、423日ぶりの打席に送り出した。

 スタンドのファンは涙を流しながら吉村に惜しみない拍手を贈り、二ゴロに倒れた吉村も「結果より打席に立てたことがうれしい」と感激に打ち震えた。

 そんな復活に賭ける男の執念がチームに大きな活力を与え、1カ月後のV決定につながった。吉村も近鉄との日本シリーズ第7戦で、2点目につながる内野ゴロを記録し、日本一に貢献した。

 西武時代、「減量しろ」と言われつづけた大久保博元に、「お前は痩せたら力が落ちるんだから、そのままでいい」とステーキを2枚追加注文してやり、「この監督のためなら死ねる」と感泣させた話でも知られる藤田監督。歴代屈指の名将は、選手をその気にさせる達人でもあった。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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