下重暁子・作家
下重暁子・作家
この記事の写真をすべて見る

 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「ショパンと私」。

*  *  *

 悲喜こもごもの衆議院選挙、日頃の準備が物を言う結果になった。

 準備といえば、五年に一度開かれるショパン国際ピアノコンクールがある。

 五年間、どんなに厳しい練習と緊張感の日々だったろうか。そしてコンクール当日(三次までの予選+本選)実力を発揮出来るかどうか。今年は二〇〇五年以来久々に、二位と四位に日本人が入賞した。音楽好きとしては嬉しいことこの上ない。

 テレビ・新聞、あらゆるマスコミがこのことをとりあげた。それなのに一位の優勝者に言及したメディアがほとんどなかったのはなぜなのか。日本人は日本人にしか興味がないとでも思っているのだろうか。色々探してようやくカナダ国籍の人物で名前から考えてアジア系だと見当がついた。名前だけひっそりと、顔写真もない。

 音楽好きにとっては優勝者こそ知りたいのだ。この後の音楽界を担っていくであろうショパンコンクールの優勝者なのだ。どこの国の人かはその後でいい。

 ともかく、毎回秀れた、個性溢れるショパンの解釈が聴けることの素晴らしさ。あまりに新しい解釈で予選落ちする事件もあったが、今までの優勝者をみても、アルゲリッチ、ポリーニ、ブーニンなどその都度新しいショパンの発見があった。

 一般的にもの悲しく感傷的なピアノの詩人と思われがちだが、彼がパリに滞在したのは、祖国ポーランドで革命が燃え盛った時期。どんなに彼もポーランドにもどって参加したかったことだろう。ポーランドという国は当時、地球上からその名さえ消えようとしていた。その深い悲しみと怒りなしにはショパンを語れない。

 私は十数年前、ワルシャワを訪れた際、ショパンの心臓を埋めた都心の教会を訪れた。修理中でその教会は閉ざされ、細かい雪が舞っていた。ショパンは方々の教会で子供の頃からよく演奏していたのだ。

次のページ