
赤坂大歌舞伎は2008年、十八代目中村勘三郎の「芸能の街・赤坂で歌舞伎を!」という一言からスタートした。AERA2021年11月15日号では、六代目中村勘九郎と二代目中村七之助が、今年の赤坂大歌舞伎について語った。
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――昨年は新型コロナウイルスの影響で中止を余儀なくされただけに、勘九郎と七之助の今年にかける思いは強い。赤坂大歌舞伎は親しみやすい演目で幅広く人気を博したが、今回は新作落語を歌舞伎舞台化した「廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)」、勘九郎の長男勘太郎が初挑戦する「越後獅子(えちごじし)」、「俄獅子」を元に赤坂を盛り上げる「宵赤坂俄廓景色(よいのあかさかにわかのさとげしき)」の3作を上演する。
「廓噺山名屋浦里」は江戸時代に名を馳せた花魁にまつわる実話をもとに、笑福亭鶴瓶が落語で初演した作品を歌舞伎にした。2016年に東京・歌舞伎座で初演されて以来の上演となる。
江戸時代、地方藩の江戸留守居役酒井宗十郎(勘九郎)は堅物ゆえに仲間内から嫌がらせをされる日々。ある時、寄合で「江戸の妻」を自慢し合うことになったが、馴染みの女などいるはずもない。酒井は偶然吉原一の花魁、浦里(七之助)と出会う。
■鶴瓶師匠に直談判
勘九郎:僕はこの噺を日本橋であった鶴瓶師匠の高座で聴きました。落語が始まって、2分くらいで歌舞伎座の大道具の景色が見えてきたんですよ。これは絶対に歌舞伎にしたい、浦里というキャラクターは七之助にぴったりだし、兄弟でこれをやりたいと思い、鶴瓶師匠に直談判させていただきました。師匠も快く承諾してくださり、1年もたたないうちに歌舞伎にしました。
七之助:浦里は素晴らしい役です。歌舞伎版では浦里がお里の訛(なま)りで自分の身の上を語る部分があります。最初に脚本を読んだ時にその情景が浮かびました。落語を書いている方が脚本を書くと情景が浮かぶような言葉が出てくるんだなと思ったことをよく覚えています。浦里の訛りは地方を特定しないほうがいいかと思い自己流です。