大谷翔平(gettyimages)
大谷翔平(gettyimages)

 さらに、その年のシーズンで最も打撃に優れていた選手が各ポジション1人ずつ選ばれるシルバースラッガー賞を獲得した。ア・リーグMVPも受賞し、ア・リーグの最優秀指名打者に贈られるエドガー・マルティネス賞も最有力候補と目されている。

「大谷の活躍は日本人が想像している以上に、米国では衝撃だったんです。私たち日本人は今年の活躍に驚きの半面、『これだけの数字を残しても不思議ではない』という思いも潜在的にあったと思います。なぜなら、日本で『二刀流』として結果を出しているから。ただ、米国では過去3年間でその力を証明できていなかった。そもそも、投手と打者を両立するという発想自体がない。その固定観念を今年の活躍で覆した。大谷は米国人が好む未知なフロンティア(開拓)精神を体現したことで、熱狂の渦に巻き込んだのです」(スポーツ紙記者)

 確かに、日本ハム時代から大谷のプレーを見てきた私たちは二刀流が成功に至ったストーリーを知っている。

 入団時は前例がない挑戦に賛否両論の声が上がったが、3年目の15年に22試合登板で15勝5敗、防御率2.24、勝率7割5分で最多勝利、最優秀防御率、最高勝率に輝く。一方、打撃成績は70試合出場で打率2割2厘、5本塁打、17打点と最後まで状態が上がらず、こんな指摘もされた。

「打撃で結果を残していないので二刀流は成功と言えない」

 だが、すぐに覆す。翌16年は投手として10勝4敗1ホールド、防御率1.86と好成績を残した上で、打撃も自己最多の104試合出場で打率3割2分2厘、22本塁打、67打点。自身初の日本一に投打で大きく貢献した。

 米国でも試練を乗り越えた道筋が重なる。

 19年9月に左膝蓋骨(しつがいこつ)の手術を受けた影響で、昨年は打率1割9分、7本塁打、24打点。右肘(ひじ)の内側側副靱帯(じんたい)損傷から約2年ぶりに復帰登板を果たした投手としても2試合登板で終わり、右屈曲回内筋群の損傷で戦線離脱。米国メディアの報道では「投手と打者のどちらかに絞るべきだ」と二刀流の挑戦に否定的な識者の意見が圧倒的だった。

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好成績の要因、本人が答えた「一番は…」