「面白いじゃないか」と阿部は言ったが、秋田はこう答えた。
「ヘンリーが言うほど甘くないと思いますけど」
デジタルグリッドの売り込みが箸にも棒にもかからず、アフリカでのビジネスの難しさを痛感したからだった。だが秋田の父親と同い年の阿部は言った。
「若いのに保守的だなあ。僕たちが作るサービスを待っているお客さんがいるんだ、一緒に会社を作ろう。秋田くんはアフリカで起業したかったんだろ、君が社長をやったらいい」
阿部に背中を押される形で、秋田は13年6月、「デジタルグリッドソリューションズ株式会社」を立ち上げた。未電化地域に灯をともしていくという思いを込めて、スワヒリ語で「火を灯す」という意味の「WASSHA(ワッシャ)」という名前をランタンのレンタルサービス名にした。18年には現在のWASSHA株式会社となる。
それにしても、途上国でレンタル事業を始めるのは、なかなか危険である。代金はきちんと徴収できるか、ランタンはちゃんと戻ってくるか。こうしたリスクを回避するにはテクノロジーがいる。秋田は、阿部の研究室に出入りしていたベテラン技術者、原口祥二朗の力を借りた。
原口は日立製作所を振り出しに、日本のブロードバンドサービスの草分け「東京めたりっく通信」などでエンジニアとして働いてきた。原口は代金を電子マネーで受け取った時にだけランタンを充電できるシステムを設計し、3カ月でデモ機を開発した。13年9月、秋田はデモ機を携えて再びケニアを訪れた。
秋田が向かったのは、北西部のトゥルカナ。ケニアで最も貧しい地域の一つであり、未電化地域が多い。ヘンリーに紹介された通訳のマイケルと一緒に、村でランタンをレンタルしてくれるエージェントを探した。
レンタル料は1日25円
最初のエージェントはヴェネディクト。雑貨屋を営む村の顔役だった。店の屋根にソーラーパネルを設置し、ケーブルを引っ張って充電器につなげ、ランタンを30個ほど渡した。