小川淳也氏
小川淳也氏

「これが共産党を含めた野党共闘の限界。19年参院選でも立憲は惨敗していたのに、党執行部は野党共闘の維持にばかり固執した。候補者の一本化は重要でも、国民の心に響く政策がないと自民党には勝てない」

 野党候補の一本化は、枝野幸男前代表の長年のこだわりだ。その思いは今も強く、衆院選後に野党共闘が不発に終わったことを記者から問われても「かなり多くの選挙区で接戦にまで持ち込めた。一定の効果があった」と開き直った。確かに効果はあったのだろうが、それだけでは勝てなかったこともまた事実ではないか。小選挙区で敗れたある立憲議員が言う。

「小沢一郎さんや中村喜四郎さんが小選挙区で落選したことで『国民は世代交代を求めた』と言う人もいるが、そんな単純な話ではない。高齢の議員でも、選挙基盤が弱い東京18区の菅直人さんや神奈川12区の阿部知子さんは小選挙区で勝った。野党共闘で効果があったのは、共産党が強い都市部がほとんど。地方では穏健保守派が離れて、逆効果の選挙区もあった」

 小選挙区制のルール内で勝つためには、候補者の一本化が重要なのは多くの人が認めるところだ。だが、野党共闘にばかり注力することで「共産党との閣外協力こそ立憲の主要政策」という本末転倒なイメージとなってしまい、立憲自体の魅力を十分にアピールできていなかったのではないか。

西村智奈美氏
西村智奈美氏

 過去を振り返ると、「野党共闘」なしでも政権交代が実現したことがある。

 09年衆院選では、共産党は今回衆院選の105人を上回る152人の候補者を擁立していた。それでも結果は、民主党が221の小選挙区で勝利。64議席の自民党に圧勝し政権交代を果たした。

 民主党が結成されたのは1998年。政権交代実現までに11年かかったことになるが、その間にどのような党運営が行われていたのか。09年衆院選のマニフェスト作成に関与した松井孝治元官房副長官(現・慶大教授)は言う。

「私が考えていたのは、民主党を『反自民』のみの政党にしないこと。官僚と議論するにせよ、テレビカメラがいる野党合同ヒアリングで罵倒するようなことはせず、政権獲得時の仲間として互いに学び合うことが肝要です。『自民党中心の政策を、新しい時代に合わせてシフトする』という基本的な考えがありました」

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