あなたはスポーツの種目をいくつ言えるだろうか。好き嫌いや得意不得意はあっても、1つも答えられないという人はいないだろう。しかしおそらく誰からも名前が挙がらない、遠い昔に廃れて人々の記憶から消えてしまっているスポーツも数多く存在する。
今ではほとんど目にすることができない、過去に実際におこなわれていたスポーツにスポットを当てたのが、著者エドワード・ブルック=ヒッチング、翻訳・片山美佳子氏の書籍『キツネ潰し 誰も覚えていない、奇妙で残酷で間抜けなスポーツ』(日経ナショナル ジオグラフィック)だ。
「スポーツ(sport)」は「一定のルールのもと、楽しみを求めたり、勝敗を競ったりする目的でおこなわれる身体運動の総称」を指すが、言葉の由来は「気晴らしをする、楽しませる、喜ぶ」を意味する古フランス語のデスポルテル(desporter)だという。
「ルールを定めるという考え方は比較的最近になって生じたものであり、何世紀もの間、スポーツとは体を使って楽しむ活動(特に狩り)を指していた。例えば、1755年編纂の『英語辞典』でサミュエル・ジョンソンは、まず『遊び、気晴らし、ゲーム。遊び戯れること、騒々しいお祭り騒ぎ』とスポーツを定義し、次に『野鳥狩り、狩猟、釣りなど野外での気晴らし』としている」(同書より)
幅広い活動が「スポーツ」としておこなわれてきたが、歴史のなかでたくさんの種目が淘汰された。廃れていった理由はさまざまだろうが、大きく分けると「残酷」「危険」「ばかばかしい」の3つになるという。同書では特に「残酷」に分類されるものが多い。
タイトルにも含まれている「キツネ潰し」もそんな種目の1つ。著者が本書を執筆するきっかけになったとても珍妙なゲームである。
「男女が力を合わせ、無防備なキツネをできるだけ高く空中に飛ばすのだ。
キツネが7メートル以上の高さまで飛ばされることも珍しくなかった。足から着地しようと空中で必死にもがくキツネを眺めるのも、人々の楽しみの一つだった。
競技が終わりに近づくと、参加者たちは会場を練り歩き、けがをした動物を"慈悲深く"殴り、とどめを刺した」(同書より)
キツネ以外の動物も対象となり、大規模な大会では数百匹の動物たちが犠牲になったという。18世紀頃に実際におこなわれていたこの「スポーツ」は、今の私たちから見れば悪趣味にしか思えないかもしれない。しかし、そういったスポーツにも文化的な側面が見られることもある。
「このゲームのルーツは、古代の迷信にあるのかもしれない。冬場の幸運を願って、邪悪な冬の精霊の象徴である犬やキツネを、死ぬまで繰り返し毛布を使って空中に放り投げる慣習があったのだ」(同書より)
当時は動物に対する残虐な行為に対する罪悪感は薄く、ちょっとした気晴らしくらいにしか考えていなかったのだろう。「キツネ潰し」以外にも動物愛護の観点からは到底容認できない種目は数多く存在してきた。中世では厄災や不吉と関係があるとされた猫も、「猫入り樽たたき」「猫焼き」「イタリアの猫頭突き」など多くの「スポーツ」の被害者である。
数々の動物が犠牲になってきた歴史を「残酷すぎる」と目を背けてしまうことは簡単だが、「スポーツ」という視点から見ることで新しい示唆を得られるかもしれない。
「先人たちがどのように楽しんできたかを知ることで、道徳やユーモア、日々の試練といった幅広い事柄に対する当時の人々の姿勢を、これまでとは違う側面から理解できるようになるだろう」(同書より)
今人気があるスポーツがこの先もずっと人気であるという保証はない。たとえば日本では人気の高い野球も、世界的な普及度は低く、国内の競技人口も減少傾向にある。2012年ロンドン大会以降はオリンピック種目から除外されており、東京2020大会で開催都市提案の追加種目として一回限りで復活しただけ。今後の見通しが明るいとは言いがたい。一方でeスポーツなど新たに普及し成長している種目もある。
数百年後に今の時代を振り返ったとき、未来の人たちは「ボールを叩いたり蹴ったりするなんてばかばかしい」と私たちのことを笑うかもしれない。「スポーツ」はちょっとした娯楽でおこなっても真剣に高みを目指しても、あるいは全く無関心でいてもよい。だからこそ一つひとつの種目の歴史やルール、魅力などを紐解いていくことで、そこに潜んでいる価値観などが炙り出される可能性がある。
同書で取り上げられているのは90種類以上の珍スポーツ。想像するのも憚られるものも多いだろうが、歴史に埋もれかけていた種目のなかに好奇心が刺激されるものがないか探してみるのも良いのではないだろうか。