キャンプの規模は100人、300人、1千人と年を追うごとに拡大し、当初は関心を示さなかった藤田から「一緒に何かやろうよ」とツイートが届いた。ゲーム大手のスクウェア・エニックスとはソフト開発のキャンプが始まった。
そのスクエニから、とんでもない大物が一味に加わる。橋本善久。セガのゲームディレクターとして頭角を現し、スクエニのCTO(最高技術責任者)を務めた。代表作の「ソニック・ワールドアドベンチャー」や「FINAL FANTASY XIV 新生エオルゼア」を知らないゲーマーはいない。
その橋本が14年、ライフイズテックのCTOに就任した。1973年生まれの橋本は、水野たちの兄貴世代。その経験は経営に安定をもたらした。16年にはミスルトウから出資を受け、投資家の孫泰蔵が社外取締役に就任した。孫は言った。
「リアルのキャンプなんて、事業としてどうやってスケールさせるのさ。今どき教育ビジネスをやるなら、まずオンラインから始めるだろ。まあ、そういう不器用さが君らのいいところだけどね」
事業が軌道に乗ると、小森はオンラインのプログラミング教育サービス「ディズニー・テクノロジア魔法学校」を作り上げた。大企業からは「社員のIT教育をお願いしたい」という注文が殺到し、文部科学省も「教師のIT教育」を頼んできた。
3人で始めた「オタク ヒーロー化計画」は確かに日本の教育を変えつつある。
半世紀遅れだけど
米国でオタクがヒーローになったのは、おそらくビル・ゲイツが最初だろう。彼が初めてコンピューターに触ったのは1960年代の後半、中学生になったばかりの時だ。彼が通っていたシアトルの名門校レイクサイドスクールの数学教師が、「これからの子供にはコンピューター教育が必要だ」と考え、母親会のバザーで得た資金で、企業が持つ大型コンピューターをタイムシェアリング(時間貸し)で使えるようにしてもらった。