フリードマン氏の主張に対する批判にも、やや誤認識があるかもしれません。「利益の最大化」には条件があるとフリードマン氏も付け加えているからです。”…while conforming to the basic rules of the society, both those embodied in law and those embodied in ethical custom.” つまり、社会における基本的なルール、法律そして倫理も含む、に従うことが前提であると示しています。

 一方で、フリードマン氏は市場原理主義者の祖でしたので、公害や人権など外部性(企業の行動が市場を経ずに他の経済主体の行動に与える影響)への関心があまり高くなかったのかもしれません。経済モデルとは複雑な経済社会を単純化することですから、市場機能だけで資源配分の効率性が必ずしも実現できない複雑な外部性は理論形成の邪魔者です。

 渋沢栄一は学者ではなく、実業家でした。その実業家の観点から見える世界において経営者の責任、そして、成功とは「幸せ」(ウェルビーイング)の実現であると考えたのではないでしょうか。それは、社会の幸せ、顧客の幸せ、従業員の幸せ、取引先の幸せ、株主の幸せ、そして、もちろん自分自身と家族の幸せです。これらステークホルダーの幸せを追求することが経営の本質であり、手段をきちんと選んだ正当な成功の本来の意義であると栄一は考えていたと思います。

 ただ、その責任を果たしていない経営者が少なくないと栄一は嘆いていました。

「総て重役が其の地位を保ち其の職責を尽くしているのは、必ず多数株主の希望に依るものであるから、若し多数人の信任が無くなった際は、何時でも其の職を去るのが当然のことである。」【『青淵百話』事業経営に対する理想】

 実は、資本主義の原点を日本で150年ぐらい前に導入した張本人には、既にガバナンスという概念が根付いていたのです。そして、ガバナンスには誠実なディスクロージャー(情報開示)が必要であるとも示しています。

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渋沢栄一が断罪した悪徳重役