今年11月に99歳で生涯を閉じた瀬戸内寂聴さん。長年、秘書として瀬戸内さんを支えた瀬尾まなほさんが、今、瀬戸内さんに伝えたいこととは。
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寂聴先生がいなくなってから1カ月が経ちましたが、私は先生が今も入院していて、「早く寂庵へ帰りたい」とごねて看護師さんやお医者さんを困らせているんじゃないか、急いで迎えに行かなきゃ、と思ってしまいます。
先生を捜してしまうのです。先生のことを待ち続けてしまうのです。でも先生はどこを捜してももういないのですね。この現実を私は理解できていません。
先生は超人で、今まで幾度となく病気を乗り越え、ご自分でも「死にそうにない」とよくおっしゃってました。100歳は軽く超えると思っていたし、来年は先生の満100歳の年、全集も新刊もたくさん出て「寂聴YEAR」になると期待していました。5月の誕生日のお祝いの話もしていました。
先生、年越しはどうしましょう? 久しぶりにこたつを出して寝正月? お雑煮はまた私が見よう見まねで作る白みその雑煮でいいですか? 私の息子も一緒に過ごしていいですか? 寂庵の豪華な正月の様子を見せてあげたい。
先生、これからの話をしましょう。未来の話です。私に2人目3人目が生まれるとか、新しく本が出るとか。全集の宣伝はどのようにしようか、横尾忠則先生の展覧会が開催されたら次こそは東京へ行きましょうよ、久しぶりに歌舞伎も見に行きましょう──。
先生と出会えた11年間、私はずっと幸せでした。秘書という役割を与えられたものの、その正解がわからず、手探りで必死にやってきました。先生はいつも笑っていて、時々、「まなほなんてクビだ!」と脅かして、でもどんなことがあっても、私のことを離さずそばに置いてくれました。
最期の最期まで作家として書き続け、週刊朝日での横尾先生との往復書簡も、入院中は書くのを休んでいたけれど、「今回は書く!」と言った日の夜に急変しました。
自分の思うがままに生きて、強くて、明るくて生き生きとしていた。そんな魅力的な人のそばに最期までいさせてもらえたこと、本当に幸せだと思います。
先生は、ご自分が死んでも「まなほは大丈夫だ」と言い切りましたが、そうかなぁ、心細いよ。せめてもう一度会いたいです。
(構成/本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2021年12月24日号