
しかし翌14日、トルコ大使館が運営しているイスラム教礼拝所「東京ジャーミィ」(渋谷区)の関係者からK氏に電話があり、「その件には手をつけないほうがいい」と釘をさしたという。
同日午後4時45分、I弁護士からの私の妻へのメールには「先ほど、K氏から電話があり、トルコ大使館や外務省から動かないでくれとのメッセージが届き、公安警察らしき車に監視されるようになったとのことです」とある。
「外務省」とは日本の外務省のことである。「公安警察らしき車」はK氏が受けた印象でしかないが、K氏はその後はI弁護士にもこの件について口を閉ざすようになったという。
私の妻は、13日にI弁護士に「家族の依頼」の同意を伝えてすぐに、外務省邦人テロ対策室の担当者に電話で事態を話し、「なぜこんな大切なことを教えてくれなかったのか」と問いただした。K氏が途中で諦めていたら、この件を家族が知ることすらできなかったからだ。これに対し外務省の担当者は「これまでにも不確かな情報があり、すぐに知らせるのではなく調べていた」と説明している。
3年余りの間に「不確かな情報」が無数に飛び交ったのは事実だった。仲介役になろうとしたスウェーデン人コンサルタントは「すでに死亡しました」とメールを送ってきて私の妻を半狂乱にさせ、やはり仲介役を買って出た在日シリア人は「拘束者は(高級大型クロスカントリー車の)ランドクルーザー4台を欲しがっている。そのための金がないなら家を売ればいい」などと現物支給という異常な要求を何の裏付けも示さずに次々に送ってきた。そうした「不確かな情報」に私の家族が翻弄されてきたことを外務省の歴代担当者も知っていた。
しかし、IHHは実体のある著名な団体である。K氏が実際にIHHの窓口という立場なのかはIHHに問い合わせれば分かることだ。IHHがやり取りしている「拘束者」が本当に私を拘束している本物の拘束者なのかどうかは、私しか答えられない質問をIHHを通して拘束者に送り、正解が返ってくるかどうかで判断ができる。これを「生存証明」というが、私は「生存証明」は一度も取られておらず、外務省が本気で「調べていた」とは思えない。「2日後には解放」という期限が迫っていたにもかかわらずK氏への回答をせず、家族にも伝えなかった理由として「調べていたから」は説得力に欠ける。
結局、数日が過ぎても私が解放されることはなかった。K氏によると「15日ころにはIHHも拘束者と連絡が取れなくなってしまった」という。