人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「方言の尽きせぬ表現力」について。
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「おしずかに」という言葉を聞いて、何を想像するか。学校の先生が生徒に向かって言うとか、会合で主催者が参加した人々に向かって言うなどと考える人が多いかもしれない。
実はこの言葉は津軽弁で別れ際に使うということを津軽在住の友人から教えられた。
いわば「さようなら」という別れの言葉と同義語で、人々が去り際に「おしずかに」と言って帰っていく。余韻のあるいい響きだ。
津軽でも現在はあまり使わなくなったというが、別れ際、相手の行く先が明るいように祈る言葉なのだという。方言とはなんと心のこもった言葉だろう。
あまり身近なので、使ってきた地元の人々はその美しさに気付かないで、方言は消えてゆく。
私の友人であるエッセイストで林檎園の女主人でもあった片山良子さんは、戦時中、疎開のため弘前に転居した時、津軽弁の美しさに気付いたという。最初におぼえたのが「ごぎんぎょう」。意味は「ごきげんよう」であるという。片山さんもとりわけ「おしずかに」の優しさに心をつかまれた。
私もその土地の人々が使う一番美しい言葉が方言だと思っている。さまざまな方言の中で、最も難解なのが津軽弁と薩摩弁(鹿児島弁)だと言われるが「おしずかに」のどこが難しい? こんなに短くてイメージあふれる挨拶が他にあるだろうか。
雪深い津軽の冬、片山さんの講演を聞いた人々が一人、二人と「おしずかに」と言って去っていく……その光景が目に浮かんだ。
私が今までに聞いて感激したのが「はるかだのう」という山形県庄内地方の方言だ。「遥かだのう」と漢字で書けば、もっと伝わりやすいが「久しぶりですね」という挨拶らしい。
それを教えてくれた朝日新聞論説委員だった轡田隆史さんは昨年故人になったが、どのくらい庄内に一緒に出かけて、庄内弁に聞き入ったか。