『日本語の大疑問 眠れなくなるほど面白い ことばの世界 (幻冬舎新書)』国立国語研究所編 幻冬舎
『日本語の大疑問 眠れなくなるほど面白い ことばの世界 (幻冬舎新書)』国立国語研究所編 幻冬舎
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 「うれしみがある」や「わかりみが深い」、「~させていただいてもよろしいですか?」などのいわゆる"若者言葉"に対して「ああ、日本語が乱れている......」と憂いたり憤りを覚えたりする人がいます。文法的に見ると従来の用法とは異なっており、「間違いだ!」と断じたくなる気持ちもわかります。しかし新しい表現をただ否定するのではなく、「どうしてこういう表現になったのか」「何を表そうとしているの」を考えることで、日本語の新たな一面が見えてきます。

 そうした気づきを与えてくれるのが、書籍『日本語の大疑問 眠れなくなるほど面白い ことばの世界』です。国立国語研究所(以下、国語研)に寄せられた日本語に関する疑問に、研究者たちがわかりやすく答えています。

 たとえば、先に出た「うれしみがある」や「わかりみが深い」に関する質問には茂木俊伸さんが答えています。そもそも「~み」は、「接尾辞」あるいは「接尾語」と呼ばれ、従来なら主に形容詞に付けて名詞にする働きがあります。「うまい→うまみ」「深い→深み」などですね。

 しかし「~さ」が付くはずの形容詞「うれしい」や、本来「~み」が付かないはずの動詞「わかる」に付いているのは、なぜなのでしょうか。

「個人の感情や欲求は、そのまま言語化して表に出すと生々しさや主張の強さを感じさせることがあります。これに対し、『うれしい』のような感情をいったん名詞化し、『うれしみ{がある/が深い/を感じる}のように分析的に表現することによって、自分から距離を置いた形で、婉曲的に表現する効果が生まれます。

大人世代でも仕事の際に、『この日程は厳しいものがあります』のように、名詞『もの』や『ところ』を使った婉曲表現を用いることがありますが、若者はそれを接尾辞『~み』で行っていると言えます」(同書より)

 茂木さんはさらに、「従来使われてきた『~さ』ではなく、わざと逸脱的な表現『~み』を使うことで、冗談めかした『ネタ』として自分の感情や欲求を見せることができる」とも続けます。

 この新用法はTwitterで2007年から見られるようになったそうで、感情の生々しさや主張の強さをやわらげたい、ネタとして受け取ってもらいたいという思いは、特にTwitterを使用する人はどこか共感できる部分があるのではないでしょうか。

 「~させていただいてもよろしいですか?」については、滝浦真人さんが回答しています。質問内容は「店員さんから『確認させていただいてよろしいですか?』なんて言われると、目が点になります。日本語の乱れでしょうか」です。

 「させていただく」は本来、「目上の相手の許可を得て何かをすることで相手から恩恵を受けることを表す、とても丁寧度の高い言い方」だと滝浦さん。それならなぜ「確認させていただけますか?」ではなく、「よろしいですか?」が付くのでしょうか。

 これは実は聞き手の思いを汲んだ表現で、「『よろしいですか?』のような許可求めを含んだ言い方の方が好印象」との調査結果が出ているそうです。

「相手との関わり合いも表したい(聞き手からすれば、表してほしい)という意識です。『させていただいてもよろしいですか?』という形は面妖ですが、『よろしいですか?』という許可求めを加えることで、相手とのつながりを表している形であることがわかります」(同書より)

 このような思いがあって誕生した言葉なのだと知ると、少し見方が変わってくるのではないでしょうか。

 ほかにも、「何でも略して言うと、正しい日本語が失われてしまうのではないでしょうか」や「外国人の友人が先生に『推薦状をお書きください』と言いました。丁寧な言い方なのに失礼な感じがあるのはなぜですか」、「南米から来た人を『地球の裏側からのお客様です』と紹介したら、配慮を欠いた表現だと指摘されましたが、なぜでしょうか」、「『可能性』は『高い』のか『大きい』のか『強い』のか、どれを使えばいいですか」などなど、気になる質問がたくさん登場します。あなたならどう答えるでしょうか?

 同書では日本語だけでなく、英語、フランス語、ユピック・エスキモー語など多彩な外国語や、世界の手話にも言及しており、回答する研究者によって切り口はさまざまです。また、「ここで示されているのは、ことばの正誤に関する裁定ではない」、国語研は「『正しい』ことばの使い方を決めるところではない」といいます。

「回答者はみな楽しんで調べ、一生懸命考えた結果を示してくれていますので、読者のみなさん方にも、楽しんでいただけるものになっているかと思います」(同書より)

 「正しい日本語」を使うべき場面もありますが、そうではない場であれば、同書の研究者たちのように「どういう思いから使われるようになったのか」を自分なりに考えてみるのも楽しそうですね。

[文・春夏冬つかさ]