撮影/写真映像部・東川哲也
撮影/写真映像部・東川哲也

 どこかに、自分に似た“置いてきぼりの人”を描いていたいという気持ちがある。ルールや常識や、メジャーなものに対する違和感を覚えるようになったのは、20代で、映画の勉強のためにアメリカに留学したことも影響しているようだ。

「日本の大学では写真を勉強していたんですが、自分よりうまい子がたくさんいて、嫌になっちゃったというか(笑)。写真でやっていくのは無理だな、と。ずっと自分は何が得意なんだろうかを考えていて、それで、映像のほうに行ってみようかなと頭を切り替えました。父が映画好きで、小さい頃からそれなりには観ていましたが、マニアとかオタクとか言えるレベルではなくて、撮影監督のアシスタントとかができればいいなと、最初はそれぐらいの軽い動機でした」

 その留学体験で、カルチャーにしても思考にしても、自分がいかにマイノリティーに属しているかを痛感することになる。

「英語がしゃべれないアジア人の女の子が、頑張って映画の授業を受けたところで、周りからはあんまり相手にされない。ただ、脚本を書く授業があって、そのときに、自分の書いた脚本でみんながワーッと笑ってくれたときがあって。それがすごく自信になりました。自分のユーモアは、ちゃんと世界共通で、みんな笑ってくれる部分があるんだなって」

 自分に脚本が書けるとは思っていなかった。日本語の文章ですら、長いものは書いたことがなかったが、その文章への苦手意識は、“脚本”の特殊性に助けられた。

「小説を書くときって、文才が必要じゃないですか。文章の美しさや語彙力が求められますけど、脚本は、それがなくても成立する。状況説明と台詞で成り立っているものだから、難しい言葉を知らなくても、漢字を書けなくても脚本は書ける。アイデアさえあれば、物語は作れるんです。当時は英語で書いていたので、それは我ながら偉いなと思いますけど(笑)」

 今も、脚本を書くのがいちばん楽しい作業だ。その楽しい作業を取られてしまったら意味がないので、映画は、基本的にはオリジナルでやっていきたいと思っている。

「じゃあ、脚本家になればいいという意見もあるかもしれませんが、自分が頭に思い浮かべた考えを、映画の場合は、役者さんをはじめとした他の部署の人たちがもっとおもしろくしてくれるわけです。そういうものづくりの過程を知っていくうちに、『自分で監督してみたい』っていう欲が生まれて……。もう一つ、どんなテーマであっても、自分なりのユーモアみたいなものには絶対にこだわりたい気持ちがあります。今回も、“遺骨”とか“死”といったテーマを描いているんですが、それをただ暗く描くのではなくて、何かしら、自分のユーモアとか、笑いに結びつけたかった。余韻として温かいイメージが残る、演出や編集では、そこをすごく意識しています」

撮影/写真映像部・東川哲也
撮影/写真映像部・東川哲也

(菊地陽子、構成/長沢明)

週刊朝日  2022年9月23・30日合併号より抜粋

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