斎藤慎太郎は俳優の及川光博さんに似ているとしばしば言われる。将棋界の「プリンス」「王子」は時代によって変わるが、現在は中村太地七段が「東」、斎藤が「西」の王子と呼ばれる(photo MIKIKO)
斎藤慎太郎は俳優の及川光博さんに似ているとしばしば言われる。将棋界の「プリンス」「王子」は時代によって変わるが、現在は中村太地七段が「東」、斎藤が「西」の王子と呼ばれる(photo MIKIKO)
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 AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。渡辺明名人、森内俊之九段(十八世名人資格者)、「初代女流名人」の蛸島彰子女流六段らに続く18人目は、「西の王子」の斎藤慎太郎八段です。発売中のAERA 2022年9月12日号に掲載したインタビューのテーマは「影響を受けた人」。

*  *  *

「そんな……。そんなことがあるの?」

 今年3月に決勝戦が放映されたABEMA(アベマ)師弟トーナメント。2人一組のチーム戦で、勝ったほうが優勝という大一番。師匠の畠山鎮八段(53)が奇跡的な大逆転勝利を収めたあと、戦いを見守っていた弟子の斎藤慎太郎はそうつぶやいた。

「自分の棋士人生がそういうの(優勝)に縁があるとは思ってなかったんで」

「もう……。もう、斎藤君のおかげです。すみません」
 師匠はそう言って、あとは涙を抑えきれない。将棋史に残る名シーンだった。

 師弟の濃密な間柄は、将棋界では有名だ。

「かっこいい!」

 少年時代の斎藤は、畠山の活躍を見て両親にそう言っていた。

「そこそこ実力がついてきていろんな棋士の先生に指導対局を受け、ほめてもらうことが多かったんです。でも、畠山先生には厳しめな指導をいただいて。それがかえって新鮮で印象に残りました」

「しばらくして奨励会に挑戦できる棋力ぐらいになったとき、誰に師匠になってもらうか。やはり畠山先生がいいというので、手紙を出して入門をお願いしました」

 師匠となった畠山は最初、弟子の斎藤と将棋を指すつもりはなかった。しかし弟子の熱意に打たれ、師匠が胸を貸すようになり、800局ほどぶつかり稽古がおこなわれた。

「私が棋士になるまでは、将棋だけじゃなくて、体調のことなどいろいろ気にしてくださってました」

 畠山は真面目かつ、熱血漢だ。門下からは斎藤と黒田尭之五段(25)、2人の棋士が生まれた。黒田は最近、ABEMAトーナメント(3人一組の団体戦)で、あの藤井聡太竜王(20)を破るなどして、大いに名をあげた。

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