──13年11月にキーウで始まった市民運動は、翌年2月に親ロシアのヤヌコビッチ大統領を国外追放に追い込んだ(ユーロマイダン革命)。
「当時は若すぎて何が起きているのかよくわかりませんでした。怖い気持ちはずっとありましたが、両親が守ってくれ、あまり関わらないようにしてくれていました。この映画で革命を見て、改めてロシアを憎むオルガの親友・サーシャの気持ちが理解できました」
──ロシアのウクライナ侵攻が始まった今年2月24日、アナスタシアさんは朝4時半に起こった爆撃音で目が覚めた。
「昨年11月か12月に母から『もうすぐ戦争が起こる』と聞いていましたが、その時は単なる噂だと思っていました。私はハルキウという町にいたんですが、そこはロシアの国境にも接していて、戦争の始まる1週間前から国境近くにロシア軍が集まるという情報がありました。それでもなかなか信じられなかったです。でも、爆撃音を聞いた時、母の言葉を思い出し『戦争だな』と思いました」
──当時はどのような状況だったのですか。
「最初の4日間は部屋にいたんですが、怖くてよく寝られませんでした。いつも電気を消して過ごすようにしていました。最初は人々は食料がなくなると思い、スーパーで買いだめしていました。その行列で食料品を買うために4時間くらい並ばなければならなかったこともありました。ATMもすごい行列で、使えなくなったこともあります」
「爆撃音が日増しに強くなったので、寮の地下室で1週間半くらい過ごしました。その時はゆっくり食べるよう、好き嫌いはなくすように言われました。食品を捨てないよう使い切る努力もしました。そして3月4日にウクライナを出ました」
──今はスイスに滞在しているそうですね。
「初めにポーランドへ行きましたが、スポーツ関係の仕事がなかなか見つかりませんでした。スイスへ行く計画はそもそもありませんでしたが、ある日、チューリヒで『第25回スイス・フィルム・アワード』という授賞式が行われるからそこに参加しないかという連絡があったんです。スイスには『オルガの翼』の撮影チームがいましたので、いろいろ相談して行くことになりました。『オルガの翼』はそこで最優秀作品賞などを受賞しました」
「結果として、スイスでサーカス団の団員として働くことになり、また、子どもたちに運動や体操を教えるコーチとしての仕事もしています。私にとって、この映画のチームは素晴らしい人々に恵まれ、最高のチームでした。このチームでなかったら今の生活はなかったと思います」
──生活を立て直すことはできそうですか。
「スイスでの生活は落ち着いてきましたが、毎日ウクライナの悲劇的なニュースを見ているので心配なことはたくさんあります。私の両親、祖母とおばはバラバラに住んでいるので心配はつきません。今は未来の計画を立てることは難しいですが、今を生きるようにしています。仕事を頑張っていますが、これからもし映画のオファーがあれば、また考えた上で受けたいと思っています」
(ライター・坂口さゆり)
※週刊朝日 2022年9月9日号