坪倉優介(つぼくら・ゆうすけ)/1970年、大阪府生まれ。大阪芸術大学1年生の時にバイク事故で記憶を一切失う。大学復学後、草木染に出合い、96年に京都の染色家、奥田祐斎に師事。2005年に「ゆうすけ工房」を設立し、現在は草木染作家として活躍中(撮影/写真映像部・東川哲也)
坪倉優介(つぼくら・ゆうすけ)/1970年、大阪府生まれ。大阪芸術大学1年生の時にバイク事故で記憶を一切失う。大学復学後、草木染に出合い、96年に京都の染色家、奥田祐斎に師事。2005年に「ゆうすけ工房」を設立し、現在は草木染作家として活躍中(撮影/写真映像部・東川哲也)
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 33年前、大学1年生の時にバイク事故ですべての記憶を失った。当時の思いを克明に綴った手記をもとに、新たなミュージカル作品が誕生する。AERA2022年9月5日号の記事を紹介する。

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──交通事故で記憶をなくして33年。草木染作家の坪倉優介さんの手記『記憶喪失になったぼくが見た世界』(朝日文庫)をベースにしたミュージカル「COLOR」が9月から上演される。

自分にとって当たり前の生活をプロの俳優の方が音楽に合わせて踊り歌う。それも、浦井健治さんや成河さんが演じられるなんてワクワクしかありません。自分ではない自分が想像した色は僕の中でどんな色に感じられるのか。さらに、自分が発した言葉が音としてどう奏でられるのか。とても楽しみです。

──誰もが消したい過去があるはず。だが、大阪芸術大学に入学した1989年6月にバイクで事故に遭った坪倉さんの体験は、想像を絶する世界だ。

 僕の場合、良いことも悪いことも完全に消えてしまいました。歩き方も喋(しゃべ)り方も家族もわからない。自分が今何をしたかもわからなくなるなんて、多分、誰も望まないことだと思います。生活する上で必要な感覚をどう表現していいのかもわからなかった。お風呂に入るにも温度はどこからが熱いというのか、食事をなぜ3回するのか、なぜ夜になると眠らないといけないのか、全くわかりませんでした。

■僕だけが知らない自分

──事故前の記憶を今はどう思っていますか。

 日数が経(た)てば経つほど、記憶が戻ってくる気はしなくなりました。事故を起こした頃は記憶を戻したくて仕方がなかった。元通りの自分に戻りたい。みんなが知っているのに僕だけが知らない自分というのはすごく嫌だったし怖かった。なんとか戻ろうと必死でした。でも、新しい生活を送る中で、お金というものを知ったり、文字を覚えたり。たくさんのいろんな情報が頭の中を埋めていくうちに、過去に戻ることは無理かなと思うようになりました。

──思い出せない現実を受けとめられたということですか。

 受けとめはできない。どこかで不意に元の自分に戻るのではと思うことがあります。今は事故から目覚めてからの人生が夢のように消えてしまうことが一番怖い。すごく面白かった毎日が全部なかったことにされてしまったら、ショックすぎて立ち直れません。そういう経験をしているので、また同じようになるのではないかと思ってしまうんです。だから今、こうしてみんなといることが夢のよう。楽しくて仕方ありません。一方でいつもおどおどしてもいますが、それでは前に進めないので、気にしないでいるつもりです。

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