テーマは核廃絶。当時、旧ソ連はゴルバチョフ政権になってレーガン・米大統領との間で核軍縮交渉が進んでおり、また86年4月に発生したチェルノブイリ原発事故の影響もあって、反原発、反核兵器運動は世界的な広がりを見せていた。

「キャッチコピーは“平和がいいに決まってる”。関心の高さから、『ギャラ無し、交通費無し』の完全ボランティアながら、財津和夫さん、イルカさん、爆風スランプさん、それに韓国からチョー・ヨンピルさんも駆けつけ、総勢34人・組が8月5、6の両日、市内の広島修道大学キャンパスでのコンサートに参加しました」(元地元紙記者)

 その際、訪れた広島市内の被爆者擁護ホームを慰問に訪れ、入居定員をはるかに超える待機者がいることを知って衝撃を受けたという。

「原爆やその後遺症で家族を失った身寄りのない方が多くて、『これは何かしなくては』と。それで翌87年から新たに養護ホームを建設する資金を寄付するためと核廃絶・平和を願い、正式名称を『HIROSHIMA ’87-’97』に変えてコンサートを毎年開催することにしました」(山本さん)

 大友康平さんが、出演だけでなく主催者に加わったのも87年からだ。

 YouTubeにアップされている同年のコンサート映像を見ると、大友さんは「一番、僕が感動したのは去年、南こうせつさんが『こんな言い方すると失礼かもしれませんが、被爆をなさった方の病棟とかベッドとか施設が非常にひどい。いい施設を作るために金を稼ごうじゃないか』と。その言葉が一番わかりやすかった」と、参加することになったきっかけを話している。

 そして安全地帯、佐野元春さん、尾崎豊さんら27人・組のミュージシャンが広島サンプラザホールに集い約7千万円を広島市に寄付。以後、95年まで毎年コンサート収益金の寄付を続け、総額は約1億6400万円にのぼった。

「この間、92年7月に300人収容の倉掛のぞみ園が完成していますので、当初の目的は果たされたわけです」(元地元紙記者)

次のページ
出会って52年、また一緒に歌いたかった