TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。舞台『彼女を笑う人がいても』について。
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主義と主張がぶつかり合い、ときに交叉した1960年代ほど突出した時代はない。激動の時代をテーマに幾多の文学、映像作品が生まれたが、その時代を懐かしむがあまり、センチメントに流され、輪郭のぼやけた作品が多いのも事実だった。
そんな中、『彼女を笑う人がいても』は、鋭く深い切れ味で時代をえぐる演出家栗山民也と、気鋭の劇作家瀬戸山美咲が僕らジャーナリストに「言葉の重さ」を正面から問う芝居だった。
「あなたたちは、時代から逃げずに自らの言葉で書いているのか」
この作品は時代に関わる新聞記者の矜持を確かめている。
舞台冒頭の不穏な静寂が印象的だった。
バックスクリーンに映るのは国会議事堂を取り囲む無数の黒い傘。「虐殺抗議」「学友の死をムダにするな」。黒は喪章の色でもある。
60(昭和35)年6月16日、女子東大生の死に抗議する全学連と市民によるデモだった。自民党政権による安保単独採決に反対する民衆と警官隊の衝突で女子学生が命を落とした翌日だった。
母親を安心させようとスカート姿で自宅を出た彼女は、大学のゼミ参加後、パンツに穿(は)き換えて国会議事堂に向かった。
瀬戸康史はこの演目で、2役を演じている。
60年安保を取材する新聞記者高木吾郎と、2021年、東日本大震災の取材を続けていたが配置転換をほのめかされた記者高木伊知哉。彼らは祖父と孫の関係。伊知哉は祖父も記者だったと知り、封印された取材ノートをめくる。
祖父の吾郎は女子学生の死の真相を追っていた。
解剖所見に膵臓(すいぞう)の損傷と首を絞められた扼(やく)死痕とあった。東京地検が発表した「人なだれに巻き込まれての圧死」と矛盾するのでは? しかし上司が立ちはだかる。当局の発表通りに書けと言わんばかりに。あろうことか在京新聞7社は闘争の終結を図り「暴力を排し議会主義を守れ」と共同宣言を掲載、新安保条約が自然成立して運動のうねりは消え去り、女子学生の死因も謎に包まれた。