(週刊朝日2022年1月28日号より)
(週刊朝日2022年1月28日号より)

 竹下は87年、この創政会を母体にして「経世会(竹下派)」を旗揚げする。田中派から独立した竹下派はたちまち最大派閥に、今の「平成研究会」の源流となった。

 ちなみに“竹下派七奉行”と呼ばれた有力政治家からは、小渕恵三や橋本龍太郎、羽田孜といった首相が出たね。

 その年、ニューリーダーとされた自民党の安倍晋太郎総務会長、竹下幹事長、宮沢喜一大蔵(現財務)大臣の中から、首相だった中曽根康弘による“中曽根裁定”で竹下が次期総裁に指名された。

 こんな話を竹下から聞いたことがある。

「中曽根さんが軍隊に入った頃は、太平洋戦争で日本が勝っている時だった。だから中曽根さんには“大志”、大きな志があった。ところが自分が軍隊に入った時はもう敗戦が近かった。航空隊の教官になったけど、防空壕掘りばかりだった。だから、自分には残念ながら大志がない」とね。

 日本は敗戦で各地が焼け野原になった。竹下はその焼け跡ばっかり見て郷里の島根へ帰ったから、大志なんてなくなってしまった。「いかに日本を復興させられるか、ぐらいしかない」と言った。正直に話すところが面白いね。

 以前にも話したように、消費税導入の話は、大平正芳首相の時に持ち上がった。自分の内閣でもできなかった中曽根首相が、消費税を導入させるため、竹下を指名した。

 ところが、リクルート事件が発覚する。リクルート関連会社の未公開株が賄賂として政治家らに配られ、政財界を巻き込む不祥事となった。大物政治家が何人もやられた。竹下は当初、「自分はリクルートは関係ない」と言っていたけど、彼の秘書が関与していた。退陣せざるを得なくなった。

 ただし、最大の目標だった消費税導入は、首相在任中になし遂げた。

◆リーダー育成へ続いた「青の会」

 実は、竹下が自民党幹事長だった80年代、自分の後を継ぐリーダー政治家を育成したい、ということになった。竹下がある民放幹部にもちかけたところ、その幹部から僕のもとへ話が来た。

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