
ジャーナリストの田原総一朗氏は、今月1日に亡くなった石原慎太郎氏について語る。
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石原慎太郎氏が死去したと、朝日新聞の知人から知らされて大ショックだった。もっともっと生きてほしい人物であった。
私は高校生のときから小説家を志して、大学は文学部に入り、同人誌で小説を書いていたのだが、石原氏の『太陽の季節』を読んで衝撃を受けた。その強烈なリアリズム、そして私たちが抱いていた価値観を根底からぶち壊すすさまじい迫力に圧倒されて、小説家になる夢をあきらめざるを得なくなった。つまり、挫折したのである。失意の日々を重ねて、私はジャーナリストを志すことにしたのだ。
ところで、石原氏は国会議員になると、日本は情けない対米従属から脱却して、自立するために憲法を改正し、ちゃんとした軍隊を持つべきだ、と強く主張した。当時もその後も、日本は安全保障を米国に委ねることになっている。
ある月刊誌から石原氏との対談を頼まれて、対談の場で石原氏に「あなたの主張はまるでリアリティーがない」と批判した。そして大げんかになってしまった。
月刊誌にはけんか対談のまま掲載されて刊行となったのだが、その1週間後、石原氏の秘書が、あの対談をそのまま石原の後援会の雑誌に掲載したい、と言ってきたのである。私は、石原氏の懐の深さを再認識した。
そして石原氏に会うと、「自民党にはハト派と称する政治家たちが何人もいるが、彼らが何を考えているのか、この国をどのようにしたいのか、さっぱりわからない。会ってじっくり話を聞きたい」と言ったので、加藤紘一氏、小渕恵三氏、羽田孜氏らに会わせた。
1時間以上話し合い、お互いの主張は変わらなかったが、そのこともあって、私は石原氏を人間として深く信頼することになり、対談本を2冊刊行している。
その後、石原氏は東京都知事に就任した。すると、石原氏は私を呼び、「賢人会というものをつくるのだが、田原さんに入ってほしい」と頼まれた。私は賢人会には入らなかったが、その後も石原氏を応援し、ときには批判もした。