哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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ある農業団体から講演の依頼があった。演題は「ポストコロナの農業」。私は農業にはまったくの門外漢であるが、農業関係の団体や媒体からよくお座敷がかかる。「農業の専門家が決して口にしないような話」をしてほしいというご依頼であろうから、ご期待に沿うべく、大風呂敷を広げて、人口減が農業に及ぼす影響について話してきた。
今から80年で日本の人口は60%減ると予測されている。均(なら)すと年間90万ペースでの人口減である。農村の過疎化が進むにつれて、限界集落に行政コストをかけるのは「金をどぶに捨てるようなものだ」という非情な言説が行き交うようになるだろう。里山は無住地化し、人々は地方の中核都市(コンパクトでスマートでデジタルな田園都市)に集住させられる。でも、人口減が止まらない以上、そこもまた遠からず「過疎の都市」という逆説的な存在になる。「過疎地に行政コストはかけられない」というルールでゲームが始まってしまった以上、地方の中核都市(だった場所)も捨てられる他ない。そして、気がつけば都市部だけしか人間の住める場所がなくなる。
政官財はこのシナリオでもう合意ができていると私は見ている。都市部だけが居住可能であれば、そこでの生活は今とさして変わらない。人々が密集していれば地価は上がり、斉一的な消費行動をすれば経済は活況を呈し、求職者が集中すれば賃金は切り下げられる。資本主義にとっては「めでたしめでたし」である。
そればかりではない。「過疎地」というものがなくなってしまうのである。人の住まない広大な無住地が広がる。見方を変えれば、これは絶好のビジネスチャンスである。生態系を破壊しようと、大気や海洋を汚染しようと、「地域住民の反対」というものを配慮しなくてよいのである。太陽光パネルを敷き詰めようと、風車を林立させようと、産業廃棄物の処理場にしようと、誰からも文句が出ない。「人口減で巨利を得る仕組み」を考えろという宿題を出されたら私ならそういうリポートを書くだろう。という話をしてきた。リモートなので聴衆がどんな顔で聴いていたのかは分からない。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2022年2月14日号