自暴自棄に陥った人が他者を巻き添えにする放火や殺傷事件が後を絶たない。「拡大自殺」といわれるこれらの事件の背景には、何があるのか──。AERA2022年2月14日号の記事を紹介する。
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社会的排除や都市下層の問題に詳しい神戸大学の西澤晃彦教授は、一連の事件に共通するキーワードは「孤立」だという。
「孤独ではなく孤立です。現在そして今後の、日本の最大の社会問題だと考えています」
「孤独」は社会との関わりのなかで「自分のことが分かってもらえない」などと思い悩む状態だ。一方、「孤立」は社会生活そのものから遮断されている。
そんな人たちが今、急増している。これは1990年代以降の30年間の日本社会の変化の帰結だと、西澤さんは言う。
「一つの組織や集団に溶け込んで、そこに自分のアイデンティティーを重ね合わせる生き方が絶対ではなくなり、古いものになりました」
■孤立と暴力を繋ぐ回路
正規と非正規の労働者が混在し、人材が目まぐるしく流動化する職場は、「多様化」といえば聞こえはいいが、内実は「個人化」だ。労働市場の不安定化が「帰属の不安定化」をもたらすなか、「個性」や「私らしさ」といった価値観が称揚され、90年代の終わりには「自己責任論」が個人の意識をとらえた。こうした変化の根底には、グローバリズムが牽引(けんいん)した新自由主義的思考の浸透があるという。
「経済状況の変化を受け、人々のよりどころが不安定化しても、社会が人々を包摂する方向へ進めば、不幸は抑制できます。ところが、社会を構成する個々人が自己責任を語るような状態に陥った結果、貧困などと相まって孤立した大量の人たちが社会に放置され、当の孤立した人も自己責任論で自らを責めるという、残酷な状態が20年以上も続いています」(西澤さん)
とはいえ、孤立が拡大自殺に直結するわけではない。孤立と暴力を繋(つな)ぐ回路は何なのか。
ヒントは家族の中にある。家庭内暴力が社会問題として認識されるようになったのは90年代後半。「DV」という言葉が広がった時期だ。DVは、それ以前は「家庭内の問題」として見過ごされてきた。近代家族制度の下では、家父長への権威の集中と性別役割分業が徹底され、家父長が社会で受けた「恥」は家族内部での攻撃性の放出という手段で解消されてきた、と西澤さんは解説する。
「つまり、DVは家族の中で隠されるか、でなければ家長が家族を道連れにして清算する、という方法が取られてきました。DVの究極形が一家心中です。家父長が家族を自分の肉体の延長のように考え、扱うことによって、自分が社会から受けている恥を家族ごと巻き込んで消し去ろうとするわけです」