ロシアのプーチン大統領(ロシア大統領府公式ページより)
ロシアのプーチン大統領(ロシア大統領府公式ページより)
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 悪いことをしている人でも、自分は悪くないと主張することはしばしばある。

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「悪いのは自分ではなく、他人だ。他人のせいで自分はこうしなければならなくなった!」というわけだ。プーチン大統領は徹頭徹尾、そのタイプである。

 プーチン大統領は急に酷い人間になったわけではなく、もともとそういう男だった。

 彼はソ連時代、泣く子も黙る秘密警察「KGB」のスパイとして生き、39歳でソ連解体を経験し、40代をロシア経済崩壊の下で過ごし、47歳で大統領に就任した。最高権力者になると、同世代のKGB時代からの仲間たちを集め、強権支配を進めた。

 とくに2000年にロシア大統領になった直後から、強引に主要メディアを支配し、ロシア民族主義を扇動する宣伝工作を大々的に進めてきた。それにより、90年代に壮絶な経済崩壊を経験したロシア国民を「洗脳」し、高い支持率を得た。

 初めはロシア国内でチェチェン戦争や、ロシア国内で強大な力を持つ新興財閥(オリガルヒ)との戦いに注力したが、それに勝利すると、「大国ロシアの復活」を押し出していく。とくに注目されたのが、2005年4月の連邦議会での演説だ。

「ソ連の崩壊は、今世紀最大の地政学惨事である」

 その後もしばしば、彼はソ連解体が間違いだったと主張し、東欧諸国のNATO加盟を非難し、米国批判の発言を重ねた。

 そして、米国で2009年にオバマ政権が登場し、対外的な軍事介入から手を引いたことを好機ととらえ、2014年にクリミア、2015年にシリアとロシア軍を投入。いずれも米国から反撃を受けることはなく、やすやすと勢力圏拡大に成功した。クリミア奪取の後には、ウクライナ東部で「親ロシア派」と呼ばれる配下の武装勢力を使ってウクライナ軍との戦いを続けた(実際にはロシア軍が非公式に参戦していた)。

 そんななか、ロシア国内ではますますプーチン独裁が進み、暴力的な民主派弾圧が強化された。プーチン大統領は、いわゆる西側のリベラルな価値観そのものを敵視する発言を繰り返した。

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